菱川善夫「志を問う醇乎たる風韻」

著者 菱川善夫
タイトル 志を問う醇乎たる風韻
出版年月/出版社 受賞回[年] 8回[1993年]
分野 短歌 分類 選評

  作者は熊本の人。熊本県南東部にある江津湖のほとりに住んで三年余。その間の作品を収めたのが『青湖』である。作者の第十一歌集にあたる。
  すまいを移すことは、生き方の決意をあらたにする。恩愛の深かった父と〈別れの儀式〉を終えた後、作者は父の家を出て、江津湖の水辺をえらびとった。作者の胸中に、ひそかな再生への決意がこもっており、それが歌集一巻に、醇乎たる形而上的風韻となって漂っている。
 『青湖』で安永蕗子が試みた再生とは、どのようなものなのか。草木魚鳥の生を、草木魚鳥の闘いとしてとらえ、それを自己自身の、ひいては、現代を生きる人間の決意として自覚することである。
 「あとがき」には、こう書いてある。
  〈自然環境の破壊はたしかに危惧されるけれど、江津湖畔の草たちは、
  汚れた水土の上に、一層の繁りを見せて年々に逞ましく伸びてゆく。
  草の間をかいくぐって、汚染がすすめば白い水鳥がその数を殖やし
  てゆく。草木と魚鳥の闘いを見ながら、私も自然に相対してひそか
  な闘志を育ててゆく。自然の永遠性に対する人間の一過性の、短時
  日のかんの把握こそ歌の力だと思い知った。〉
  江津湖の水も、周辺の都市化によって汚濁が進み、澄明度が失われつつある。しかしその汚濁の中で、逞しく生きる草たちと、湖のよごれを青湖の美に変容させようとして集ってくる白い水鳥――それらの生を凝視しながら、安永蕗子は、そこに「草木と魚鳥の闘い」を、はっきりと読みとっている。〈志〉なくしては、この「闘い」を「闘い」として読みとることは出来ない。
 「草木と魚鳥の闘い」が、そのまま作者自身の「闘志」となって倫理化された時、再生は再生として訪れるものだ。その道すじを、「あとがき」は簡潔に語っている。
    身の裡に応ふる水のありやなし指十方の果ての湖
    葭と葦のあはひまぎれず夜を叫ぶ大白鳥の声もリア王
    湖岸の家はたと翳れり秋空を黒大天使ファントムが飛ぶ
    月明の視野に収めて思ふべしヨルダンはなほ死海を指すと
  身のうちに、「指十方」の湖に応えるだけの水があるかと問い、死海を指すヨルダンの水に思いを集めるところには、〈志〉のありかと、〈志〉のゆくえを問う姿勢が歴然としている。荒野をさまよう白鳥のリア。そのリアの声は、作者自身の声であるとともに、二十一世紀の人類の叫びでもあろう。ここに慰藉としての自然はない。
 いまは、人類的な志の必要な時代である。その志は女の側に強い。詩歌文学館賞の受賞は、その志を称える意味でも、よろこばしいことである。