安永蕗子「黄金の詩精神」

著者 安永蕗子
タイトル 黄金の詩精神
出版年月/出版社 受賞回[年] 5回[1990年]
分野 短歌 分類 選評

  歌集『金色こんじきの獅子』は佐佐木幸綱第六歌集である。氏は第一歌集『群黎』以来、詩は志であり、抒情の根源に立つことで明らかに散文と対立する一行詩であるという鮮明な主張を通して来た。その歌振うたぶりは、男うた、ごころの歌として常に新鮮で明快な述志の響きをつたえ、ともすれば暗くなりがちな短歌定型の宿命的な負の体質をくつがえしつづけて来た。まぎれもなく氏は表白によって行動的な、戦後歌壇の一方の旗手として在りつづけたのである。そして第六歌集はその才質と認識に歳月という時間の加担によって見事な達成を見せる集である。
父として幼き者は見上げ居りねがわくは『金色こんじきの獅子とうつれよ
  集名となった一首である。父であり子と相向く日常が金色の華麗の中に在って黄金の重量を見せる歌である。獅子こそは男の素志が夢見る理想でもあった。集の後半に次の一首がある。
一輪とよぶべく立てる鶴にして夕闇の中に莟のごとし
  鶴が夕闇の中の花となるうつくしい歌である。黒と白の単色の中に軽妙繊細の鶴が立つ。生ある物へのやさしさと、うつくしい物への渇望が、全的な感受となって言葉を惜しまず、一抹の俗息も許さぬ。にもかかわらず一首の風景は沈黙の深さで存在する。金の獅子から莟の鶴へ、明るさから暗さへ、それは男が父として生きるための熟達の光度であった。
  幸綱氏は祖父信綱、父治綱と続く日本和歌史脊梁を辿る環境に育った。しかし氏の詩的環境は幸綱氏自身が構築した場に在った。その歌作の裏で、氏ほどの綿密な詩的考察を積みあげた作家はそうはないだろう。その中から、作者は時代社会の状況を却下して全的な人間の感性をもって歌うべきだという、詩歌の純粋を抽出する。
亡き人の声はむらさき、亡き人にかかわる二冊を続けて書きぬ
遺されし如くにわれら吾と子と小暗き空に凧あげている
  抽出された純液のなかで、血縁は血の匂いを消して孤独な清さで睦みあう。
萩の株ざんばらばらとありにしを刈り払いしは昨日きぞ、否、昨年こぞ
『東歌』を脱稿したり、うっとりと望遠鏡の中の満月
  作家特有の放胆魅力の歌いぶりである。
洗われて豪雨ののちを輝ける言葉あれかし松阪に来つ
山にるきりさめにああ遙かなる杏の花の白き歳月
  あげてゆけばきりもないが、『金色の獅子』一冊の大きな意味は、恐らく定型不信論にはじまった短歌滅亡論は、ここしばらく火を噴かないだろう、という波及力にある。確固とした歌いぶりはたしかに行為であり運動体としての力でもある。貴重な集に賞が決まったことを欣びたい。