岡井隆「短歌という器楽曲、完成の域に」

著者 岡井 隆
タイトル 短歌という器楽曲、完成の域に
出版年月/出版社 受賞回[年] 3回[1988年]
分野 短歌 分類 選評

  いま、あらためて歌人前登志夫の作品歴をかんがえてみると、出発点のところに、詩人前登志夫がいて『宇宙駅』という詩集をもっていたということは、特筆していいことだとわかる。『宇宙駅』は、今読むと、とびきり独創的な詩集とはいえないだろうが、二十代の青年が、すぐれた感覚をはたらかせて、当時の現代詩の技法を機敏に自分のものにしていたことがわかる。しかも、その青年は、吉野山中の自然と風土に立脚した詩を書いていた。現代詩がかれの表現領域のすべてだったという執着性も見逃せない。
 その前登志夫は、自分が短歌を作りはじめたことを「異常噴火」だといったことがある。また、短歌という不慣れな楽器をあつかいかねて、なんども、こわしたことがあるとも書いていた。たしかに、ある詩型との出逢いが、その人にとって運命的におもえることがある。しかし、前登志夫は、運命に対して、ある日、どこかで不服をとなえたのだった。
 そして、その運命への不服従が、ちょうど三十年代の前衛短歌運動の興隆期にかさなるようにして、この詩人に、短歌という楽器を鳴らさしめた。しかも、精妙な音楽を、奏でさせたのであった。
 以来、『子午線の繭』『霊異記』『縄文紀』と歌集を出して来た。今回、受賞対象となった『樹下集』は、作品集としては、五冊目、歌集としては四冊目にあたる。昭和五十二年から六十二年まで、十年間の作品を収めている。歌の数としては、十年間に七百八十四首は、決して多いものではない。未発表の旅行作品がある由であるが、それにしても、前氏は、この十年のあいだ、ゆったりとうたい継いで来たといえよう。
 作風も、みずから「平明」といっているように、一見して、明るくわかりやすい方向へ行っているようだ。しかし、かならずしも、軽みに遊んでいるわけではなく、むしろ、地味に、地道に、おのれの感情の自然に従って言葉をつかっているのが目立つ。言葉が、こころに添いながら流れて出ている。
 ふりしきる雪にかすめる山並みを音樂として鹽つかみ出づ
 歲晩に積りし雪の明るさをかなしみとして元日晴るる
 正月の何のゲームぞ子ら三人みたりあそべる部屋に雪の歿いりつ陽
 こうした歌が、巻末ちかくにある。引用しながらよんでいて、朗々、誦すべしという気分になってくる。
 はるかなる十萬億土まかがやく悲しみをこそわれは歌はめ
といった詠嘆もそうである。だから、
 日常の息のまにまにり出づる歌のしらべにいのちをぶる
とうたっているのも、もっともという外ないのだ。前登志夫は、『宇宙駅』を出でて三十年、短歌という器楽曲の、一つの完成の域に到達したといっていいだろう。