柏崎驍二「晩節をいとしむ」

著者 柏崎驍二
タイトル 晩節をいとしむ
出版年月/出版社 受賞回[年] 28回[2013年]
分野 短歌 分類 選評

  先ずは歌集『水の花』の「あとがき」の冒頭部について触れなければならない。
  この集は私の第十歌集にあたり、平成十九年からの作品を収めている。
  前歌集『夏いくたび』を発刊した頃、私は五十年在籍した日本基督
 教団を離教した。信仰をもつ者にとってそれは重大
 なことだったので、当時の心境をつづった「永い旅の終り」という一
 文を巻末に入れることにした。
「永い旅の終り」は「NHK短歌」平成二十一年七月号に掲載された文章である。離教に際しての心情を綴ったものであるが、その終りに「八十歳も近くなって、永い逡巡から放たれた私は、肩が少し軽くなった。と同時に、急にこの国の四季の美しさが身に沁みた。勝手なことだが、砂漠から生まれた一神教は、私のような者には重すぎたのだろう。」とも記している。
『水の花』の作品群の基底となって流れているのは、「永い逡巡から放たれた」後の自身を確かめるようにしている心情の豊かさである。それは、明るい感じでもあり寂しい感じでもあり、静かなもの思いの感じでもある。
  信仰に苦しみたりし歳月のはてしづかなる雨の日のあり
  酷暑なる独居みづからを守るのみ茄子の紫紺を固くしぼりて
 これらの歌の「しづかなる雨の日」や「茄子の紫紺を固くしぼりて」は多分に日本的情調である。「急にこの国の四季の美しさが身に沁みた」というが、作者は今こそそれらを心ひろく受容しているように思われる。
 歌集巻末近く「三・一一東日本大震災」の注のある「祷」「さくら」「受苦」の三題が並んで置かれている。歌は二十三首。これらのうち、「受苦」九首の冒頭と掉尾の歌に注目したい。
  黙示録のごとき世界に首垂れてゐるほかはなし考ふるため
  放射能蓄積せるまで生きざらむ身はきてこの国を考ふ
「考ふるため」と「この国を考ふ」を結句において一連を構成したと思われる。
 津波による損傷のうち、原子炉破壊による放射能放出の問題が現在私たちにとって最も大きな課題である。私たちは「考えること」に慣れていない。未曾有のことを眼の前にして、どう考えるか、今私たちは試されているのだろう。
 歌集の作者はすでに八十歳を超えておられる。この小文の題に「晩節をいとしむ」と書いたが、歌を何度も読みながら私はたびたび錯覚する思いだった。
  二尾の魚提げてのぼれる坂の上緑蔭は地にしたたるごとし
 このような歌を読むと、作者はきっと若い人だろうと誰もが思うだろう。若々しい感性とその抒情質を私は羨む。