沖ななも「地元に根付く」

著者 沖 ななも
タイトル 地元に根付く
出版年月/出版社 受賞回[年] 26回[2011年]
分野 短歌 分類 選評

    渋民を出でてかへらぬ一人ありひばの木に降りし百たびの雪
  岩手に住んでいて石川啄木に思いを寄せない人はいないだろう。良くも悪くも啄木は岩手の人の心に住み着いている。
  柏崎驍二さんも例外ではない。啄木が渋民村を出てから百年たったことをこのように感慨深く詠んでいる。
  百年前、啄木は岩手を出て帰ることがなかった。柏崎さんは岩手を出ることが無かった。この違いは大きい。
  ほかにも地元岩手に根付いた作品を数多く作っている。
    ネカヂといふ言葉のこれり飢ゑのため眠られぬ夜の苦をいふ〈
    かぢ
    なんと濃い菫の色だこびる提げではだげさ行つた人も見だべが
 〈寝渇〉という言葉を初めて聞いた。今はこれほど飢えるということはないだろうが、かつては確かに飢えた人がいた。そうした記憶を意識の底に持っていることは作歌の上で大きな意味がある。
  また方言をふんだんに取り入れた作品が目を引く。
  言葉はその土地の生命だと思う。その土地だからこそ生まれた言葉だからだ。標準語というときの〈標準〉ではないものの力がある。標準に対する反対の意味での独自性。岩手の独自性を十分に発揮した作品集といえる。
    〈上田字豚小屋〉といふ地名改め〈緑が丘〉にわが陋居ろうきよあり
  ほんとだろうかと思うが、たぶん本当だろう。かつては豚小屋などという地名があったのだ。しかし今は緑が丘としゃれた地名になってしまった。一見ユーモラスな歌だが実はかなりの問題を含んだ奥深い歌だ。いま全国各地で合併がなされているが、その折に必ずと言っていいほど、出所の分からない名前になっている、元を辿れない、歴史のない地名に。通りのよい地名にしたことで、その土地にラッピングして歴史をなかったことにしてしまうというはかりごとのようだ。
  それを表立った批判ではなく、ユーモラスな歌に仕上げているのだ。
    わが庭にくるひよどりは友のひらく電子辞書にもこゑ張りて鳴く
    文語にて書くわが歌にしばしばもお邪魔しますと口語が混じる
  これも時代を捉えている。庭に来る鵯は実体のあるほんものの鵯。電子辞書にも鵯の声が入っていて釦を押せば声を張り上げる。しかしどう似せても本物の鵯ではないのだ。
  最近の、といってもかなり前からだが完全な文語の作者であってもときどき口語が混じり、むしろ少し混じったほうが自然に思える歌も多い。それが時代というものだろう。抵抗しながらも時代を受け入れていくというのも、生きている人間のすることとして当然のこと。
  柏崎さんの作品はけして声高ではなく、強烈な主張もしていない。それでいてじんわりと醸し出されてくる粘着性は、岩手人特有なのか、あるいは固有のものなのか。地元を離れなかった頑固さが貫く確かなものがあった。