馬場あき子「言葉の華と湊合の力」

著者 馬場あき子
タイトル 言葉の華と湊合の力
出版年月/出版社 受賞回[年] 2回[1987年]
分野 短歌 分類 選評

  塚本邦雄氏はいうまでもなく昭和三十年代の歌壇を席捲したいわゆる前衛短歌の推進者である。塚本氏によって開拓された新しい短歌の方法や技術は、多くの歌人の作法の中に有形無形の影響を与えつづけてきたが、今日では、その初期において強調された暗喩やイメージの有効性、空想力の広がりや美意識についての見解は、広く滲透して、もはや現代短歌の作法の中の常識となりつつある。
  もちろん塚本氏はそれでよしとしたわけではなく、その後も自ら求めて旧を改め「變」に至る営為を実行して来た。歌集の題名にも「變」の文字を好んで用いているが、今度受賞対象となった『詩歌變』もその一冊である。「言葉の遊燕流動する宇宙の『天變』とも呼ぶべき透明で神神しい暴力が、單なる言葉に新しい命を與へ、一篇の詩歌に變貌させる。殊に短歌はその時に發する最も美しい詩語の火花と、結晶と、そのしたたりであると言ふ他ないだらう」(『天變の書』跋より)とは、氏の<詩歌變>に至るこころざしをよく示している言葉である。
  斬新な手法によって幾たびとなく自らに「變」を求めつづける塚本氏を遠見しつつ、いつの頃からか私の心に兆していた関心と問いは、氏が自ら擬すること深かった定家の晩年をどう肯定し、どう否定してゆくかということであったが、「變」の一語を好んで口にするようになってからの塚本氏は、ようやくそれに対する答えの姿勢をきめたかのように、一元的でない、荒々しい流動性をもった作法と、優美と情緒を併せもち、従来否定的であった述志の分野をも湊合する覇気をもって静かな<豹變>を求めてきたように思われる。
 『豹變』という歌集ではそうした指向の強調もあったが、作品にその晩年意識が定着してくるのは、『歌人』あたりからで、自らついに「歌人うたびととわが名呼ばれむ」と庶幾した頃から、塚本氏はもう一つの未知の分野に分け入った感がある。即ち定家ならぬ塚本邦雄の晩年の決着をつける姿勢がきまったというようなことであろうか。
 『詩歌變』はそうした流れの中で編まれている。「鵞肝フオワグラをのみくだすわが心中に『末の松山』てふ異國あり」というような面白い対位法をもってうたわれた歌も少なくないが、ついに「異國」となってしまった本国の優しさに、逆から近づいてゆこうとするのも近年の氏の特色で、逆から眺める本国ゆえに異国的な新鮮さを出している歌も多くある。また「冬暑しわれが數百すひやくの偏見のなかなるひとつ赤彥嫌ひ」のように、
「嫌ひ」なるものへの人一倍熱い注目や執着も塚本氏独特のものに数えてよいと思うが、そうした中でこのような「嫌ひ」なものへの歌々がじつに不思議に魅力的だ。
  しかしこの集にはそれ以上に、次のような、知を超えた世の不安を生きて、孤独な詩歌の「變」の深みを示す歌も多く、それが氏の新調を根底において支えているようだ。
  驛長愕くなかれ睦月の無蓋貨車處女をとめひしめきはこばるるとも
  紅鶴フラミンゴながむるわれや晩年にちかづくならずすでに晩年
  にくしみをかなしみとして晩涼の日々ありにほひたつ花茗荷はなめうが
  山櫻うすら冷えつつ遠ざかる夜を他界よりきたれり言葉
  白晝のおもへばくらき心奧しんあうにひとつ螢の翅ひらくさま