永田和宏「待たれていた歌集」

著者 永田和宏
タイトル 待たれていた歌集
出版年月/出版社 受賞回[年] 18回[2003年]
分野 短歌 分類 選評

  最終候補として、岡部桂一郎『一点鐘』(青磁社)、春日井建『井泉』(砂子屋書房)、雨宮雅子『昼顔の譜』(柊書房)、高嶋健一『存命』(短歌研究社)、三枝昻之『農鳥』(ながらみ書房)の五冊が残った。アンケート結果を参考にしながら、三名の選考委員による慎重な討議がなされた。選考委員三名のうち二名の支持を得たものは、春日井建歌集と雨宮雅子歌集、三名全員が推したものが岡部桂一郎歌集であった。
 春日井氏の歌集は、自らの癌を見据え、また母の死にも直面したなかから、従来の歌集以上に緊張感のある世界を現出させたところが評価された。雨宮氏も最愛の伴侶であり、また同志でもあった夫の最期を共に過ごしながら、濁らない透明な悲しみをたたえた作品が評価された。この二冊の作品世界を評価しながらも、三人の委員は、それぞれが岡部桂一郎氏の歌集にもっとも高い評価を与え、全員一致で第十八回詩歌文学館賞・短歌部門の受賞歌集に推すことに決定した。
『一点鐘』は岡部桂一郎氏の第四歌集にあたる。岡部桂一郎と言うと、まず孤高の歌人というイメージが浮かぶが、七〇年に近い歌歴の中で、歌集がたったの四冊という事実もそのことを物語っていよう。群れることを好まず、歌壇とは一線を画し、寡黙な作家姿勢を貫いてきた歌人である。誰もが早く読みたいと思い続けてきた歌集が、この第四歌集『一点鐘』であっただろう。
「(一点鐘は)文字通りぽつんと鳴った鐘の音で、その他に意味はない。/早死をすると予想されていた私が八十七歳を過ぎるとは!  お前はいつまで生きるつもりかと、問う友もいるがそれは私にも判らない。しかし死んだら何処へ行きたいか、と聞かれたら一言ですむ。父母ちちははのところへ行きたい。」
 まことに簡潔、そっけないほどの「あとがき」であるが、ここにも読者に媚びない寡黙な作家の面目が印象深い。ここからもわかるように、歌集『一点鐘』のモチーフは時間であると言い切ってもいいかもしれない。死と隣接するような現実の生活のなかで、自分の目の前で自在に伸びちぢみするかのような時間という存在。そんな時間の推移の上に歌い止められた、なんでもない歌の数々が、さりげない陰翳を感じさせる一方、読後こちらの世界観をぐらりと傾けさせ、深い詩の淵に私たちを立たせてしまう。
  生死いきしにのけじめはないよなんとなく猫いて大き満月が出る
  行く先の町の名灯るバス過ぎてここは丹後の夕暮となる
  立春に立ちし卵に近よるなおばばは遠き十万億土
  わが母よあなたが死んで十五年今夜大きな月が上った
 帯に言う「重厚にして洒脱、寡黙にして辛辣」というフレーズは、岡部短歌の特徴をさりげなくとらえているが、掲出の三十首を読み、そして一人でも多くの読者に岡部桂一郎の到達点を味わって欲しい。