田谷鋭「生き方の叮嚀さ」

著者 田谷 鋭
タイトル 生き方の叮嚀さ
出版年月/出版社 受賞回[年] 10回[1995年]
分野 短歌 分類 選評

 『定型の土俵』は著者七十八歳から六年間の作品を収める。八十代に三年を踏み込んでいるため、懐旧的な作も多く混えているが、それらの歌にも独特の滋味が漂い、個人的な人生の断面につき合わせられるという印象はなく、個人すなわち、日本人の老いの姿として納得されてくるのが優れているところと言えよう。
 書名は、集中の一首、
 定型の土俵おなじくはげみなむ
  古歌の心と技といま生く
 に由来する。現代短歌をどう体系づけてゆくかは論の岐れるところだろうが、作者は〝古歌の心とワザ〟を定型のうえに生かすことを終始念願している。このことはきわめて明確な主張として心に響いてくる。作品だから端的にそう言えた、ということもあろうが、この、作者の覚悟は、今の世にそう多く聞くことの出来るものではない。いわば、みずからの内部を振り返って確認しつつ発想した、という印象の言葉なのだ。雑多な論の中ですがすがしく、かつ容認できる発言と言えるであろう。
 穏健な作品の相貌に、沁みわたる情感の清潔さを加えたものとして従来も認められてきた作者の世界が、この歌集で特に変ったとは言えない。むしろ変らぬよさを持ち続けるのが作者の魅力だ、と思われる。中で、数度の訪中による作品群は、詩精神の健在を証しするものとして特記するに価いする。
 金石文閲覽の一室は豪華なり
  紫檀の机に紫檀の椅子据う

  大伴の旅人の讃酒歌を長屋の王の
  自盡に結びけり中國の學究

  流れ寄る杯受けて酒飮みぬ
  詩はさぬわが曲水の宴
 最後の作の下句は、中国の詩人が詩作を示すのに自分は、という思いを語っている。日本の歌人だから当然な筈だが、交際社会の一員として見ればいくらか引けめ、といった微妙な思いなのだろう。そういった感情の翳りをとらえて定着するところに叮嚀で着実な作質が見えてくる。
 作者のこれまでの歌集に特徴的だった肉親や周辺への愛も、この集で、やはり静かな泉に似た佳品を多く生んでいる。その中の〝周辺への愛〟は人間のみに関わらず、事物にまで及んでいるが、他の作者に例を見ない優れた特質と言って良いであろう。また、自愛の思いも折々に歌われて無言の教えを以て迫る。
 生くべくも目處めど皆無なる若き日に
  一生ひとよ貴む心を識りにき

  月刋誌の背後に盡くす協力者
  妻ありて事のはこびをるなり

  亡き父はわれに神なり事あれば
  告げて無言のことばをぞ聽く

  書齋より用足しに踏む板廊下
  物無き當然のかくすがすがし

  老いたりと思ひをらねど母若く
  逝きしのち生く七十三年
  生き方の叮嚀さが、これらの作に籠っている。