安西均「人間探究家モラリストの詩集」

著者 安西 均
タイトル 人間探究家モラリストの詩集
出版年月/出版社 受賞回[年] 5回[1990年]
分野 分類 選評

  名実ともに、日本の現代詩人のひとりである吉野弘さんが、詩歌文学館賞を受けてくれたことは、賞自体のためにもよいことであったと思う。
  過去の受賞者についてあげつらうわけではないが、〈詩歌三賞〉が並列される場合、短歌・俳句と現代詩のバランスが微妙に不釣合いを見せることがある。
  むろん三分野それぞれ独自の選考がなされるのだから、それはそれでよいわけだろうが、わたしなど特に〈日本の詩〉というものを現代詩に限らず、短歌も俳句も含めた総体として考えたがる者にとって、その不釣合いは何となく気になる。吉野さんへの贈賞には、そういう不自然さがないことも、賞自体のためによいと言ったのである。(昨年、吉岡実さんに決った折も同様の感想だったが、これは吉岡さんの辞退で贈賞に到らなかった。しかし、わたしども選考委員は次善の相手に贈ることはしなかった)。
  さて、わたしはかねがね、吉野弘という詩人を「モラリスト」詩人とよぶのがふさわしかろう、と考えている。
 「モラリスト」という言葉は、普通には倫理学者とか道学者と解するものの、かなり平俗な手垢がついているのも事実だろう。
  だが、そうでない思想界用語では――とくにフランスの伝統では――人間探究家とでも言うほうがふさわしい。例えばパスカルやモンテーニュをはじめ、ラ・ロシュフコーの「太陽と死とは、じっと見つめられない」などの言葉にしても、断片的ではあるが、偽りのない人間観察を煮詰まらせたものだ。しかも、すぐれた〈詩〉に匹敵するだけの言葉の力がこもっている。
(これが大事だ)。
  吉野さんの受賞詩集『自然渋滞』は、単行詩集としては十一冊目。三十七篇を便宜的に三章に分けているが、各章とも長短・緩急いずれも自由自在。過去の各詩集と同じく、モラリスト詩人の面目が貫かれていて、しかも実に楽しい。つまり窮屈さを感じさせないのである。
  モラリストであり、読む側が楽しくて、窮屈でないということは、とかく閉塞的な精神空間に陥りがちな現代詩のなかでは、いまや珍しい徳目と言ってよいかも知れない。
  誌面のつごうで一つの作品にだけ注目しておくことにするが、「夢街道」というすこぶる明るくて恐ろしい感覚を、克明に描いたのがある。
 「薄い透明なビニールの/大きな管」が、新しい街道のように延びている。脇に飛びだそうとしても飛びだせない。それが果てしなく、えんえんと続き、どこかへ運ばれていく不気味さを書いたものだ。
 「夢」と題されてはいるものの、これこそ人生街道そのものにほかならないだろう。