清岡卓行「詩の言葉の新しいオーケストレーション」

著者 清岡卓行
タイトル 詩の言葉の新しいオーケストレーション
出版年月/出版社 受賞回[年] 3回[1988年]
分野 分類 選評

  鈴木ユリイカは詩集『Mobile・愛』(一九八五年)によって現代詩の新人として広く知られたが、その二年後の詩集『海のヴァイオリンがきこえる』(一九八七年)ではさらに目ざましい飛躍が試みられており、一つの鮮やかな特徴をあげると、日本の詩に今までちょっと類例がないような型の、いわば詩の言葉の新しいオーケストレーションが示されている。正直なところ、私は驚いた。
 オーケストレーションという比喩を用いたのは、この詩集による感動の生じかたが、まるで現代の優れて野心的な管弦楽曲の新作を初めて数回、短時日のうちに聞いたかのようなものであったからだ。
 一回目には、いくぶん難解でとっつきにくい冗舌とも感じられたが、もう一方においてふしぎに生き生きとした新鮮な魅力があり、忘れがたく、またここに戻ってきそうな予感がする。――一種の茫然。
 二回目には、作品全体の構成がむしろ自然に、そして力強く浮かびあがってくるのが眼に見えるような感じであり、変容しながら移動するその建築の中に自分がたえず引き込まれてゆこうとしていることが、なかばは醒めた状態で意識される。――一種の興味津津。
 三回目からは、くりかえし鳴りひびく重層的な主題の伸びやかな持続性や、きらきらと輝やく分離的な色彩の奥深い立体性などを、すでに親しいもののように感じ、いつのまにかうっとりと嘆賞している。――一種の快い自己発見。
『海のヴァイオリンがきこえる』は力感の溢れる九篇の長い詩で組み立てられている。一篇の長さは一行が三十字という枠組において、百数十行のものが多く、特に短い一篇が七十三行、特に長い一篇が二百八行である。
 ルフランが二通り用いられている。一つは共通して各篇の終りでくりかえされる「チェス盤に降る雪は降りつもり降りやまじ」(まれにその変形)、という、いわば統一的な主題の一行である。西欧の文物の一部が溶け込んでいる私たちの生活の日常の平穏への、別の次元からのきびしい、あるいは甘い呼びかけの暗喩として、また、詩篇を結ぶためにそこだけ文語の同一語数の二重の反復(五・五・五・五)として、この一行はたいへん印象的だ。
 もう一つのルフランは各篇ごとにその内部でだけくりかえされるもので、詩集と題名を同じくする冒頭の詩篇ではルフランがまた同じく「海のヴァイオリンがきこえる」である。この一行は生者につたわってくる死者の思い出をかたどるが、そうした一般的な関係の中で、ダムや橋を建設した父の思い出が甦ってくる。彼はときに家族の繊細さを理解しなかったが、ヴァイオリンそのものを優しく弾いた……。
 紙幅がなく、私の批評はここで中断せざるをえないが、感嘆の深さは暗示されていよう。いつかどこかで、私はこの文章のつづきを書かなければならない。