粕谷栄市「詩を読むことの醍醐味」

著者 粕谷栄市
タイトル 詩を読むことの醍醐味
出版年月/出版社 受賞回[年] 24回[2009年]
分野 分類 選評

  今回の選考は、楽しかった。選考の最終候補に残った、五つの詩集が、何れも豊かな個性の光を放つ、充実した詩集であったからである。選考は、選考委員が、かわるがわる、それぞれの詩集の魅力を、語ることでもあった。
 長田弘『幸いなるかな本を読む人』。辻井喬『自伝詩のためのエスキース』。島田陽子『わたしが失ったのは』。高階杞一『雲の映る道』。大橋政人『歯をみがく人たち』。
 そして、最後に、選考委員全員の意見の一致で、長田弘氏の『幸いなるかな本を読む人』に決定した。
 どちらかと言えば、長田弘氏は、私にとっては、ニガテな詩人であった。詩篇にせよ、散文にせよ、いかなる場合にも、人々を、素直に頷かせることのできる詩人の持つ、ある「規範」と呼びたいものの正しさ。「良識」と言っては、浅薄になってしまうほどの人間の存在へのナイーブな洞察と優しさ。そして、そのための修辞の見事さ。
 いつもいつもなんだか絶対に間違いがなさすぎる。それやこれやが、私のようなできの悪い読者には、眩しすぎることがあったためだ。しかし、それこそ、多くの現代詩が、その書き手以外の読者がいないとさえ言われるような現在、長田弘氏のさまざまな著作が、ある意味で、所謂「詩壇」の閉鎖の枠をこえて、広く、江湖に訴える力をもつ理由だろう。
 詩が、私たちの文化の根源にあるものだと考えるとき、特に、何の構えもなく、ごく、自然に、そのような仕事をされてきた長田氏の存在は、貴重なものだ。今度の詩集『幸いなるかな本を読む人』は、そのことを、私のような者にも、あらためて、気づかせてくれる素晴らしい詩集だった。
 二十五冊の本をめぐる二十五篇の詩。長い私たちの歴史のなかで生まれ、遺されてきた、二十五冊の本。それらを愛読してきた詩人が、そこから出発して、ときに、思いがけない逸脱をしながら、本を書いた「人間」と時代をさぐって展開する、好奇心と想像力のことばの旅が、いつのまにか、私たちが、この世に生きることの意味を考えさせる詩篇になっていること。その優しい智恵に満ちたひろがり。詩を読むことの醍醐味が、間違いなく、どの一篇にもある。その背後にあるのは「本」について、そして、「本」の存在する人間の社会と文化に対する、詩人の静かな愛情である。
 本を読む人間のいない社会の怖ろしさ。本を読む人の減っているといわれる今こそ、私たちは、そのことを考えなくてはいけない。というような杓子定規なことを言い出すことは、野暮なことなのだろう。何よりも、この詩集をひらいて、一篇一篇の詩をたどるのは、楽しいことだから。すこやかな精神の解放が、想像力の自由が、そこにあるのだから。
 幸いなるかな。詩集『幸いなるかな本を読む人』を手にすることのできる人。