八木幹夫「都市生活者の唄――てんかふんなどあてられて――」

著者 八木幹夫
タイトル 都市生活者の唄――てんかふんなどあてられて――
出版年月/出版社 受賞回[年] 22回[2007年]
分野 分類 選評

  今年度の候補作、六詩集はいずれも優れた詩集だった。事実、小長谷清実氏『わが友、泥ん人』は現代詩人賞を、伊藤桂一氏『ある年の年頭の所感』は三好達治賞を受賞した。選考会では賞の重なりを配慮することなく、意見交換がされた。特に本賞を受賞した池井昌樹氏の『童子』は三委員の目を引いた。
  家族やふるさと。捨てがたい幼年の日の記憶と現在の都市生活。それらがひらがな表記によって語られていくが、実は個々の作品には時間の回路を微妙に狂わせる構造が仕組まれ、いつのまにか、時制の違う時空に読者は泳いでいる。特にこの詩集を代表する「天瓜粉」(筆者註。ベビー・パウダーと思えばいいか)では、池井氏の詩の典型的な姿が現れている。物理的には、起こりえない空間と肉体の移動が、都市から田舎へ、大人から赤子へと相互に往還し、朝にはふたたび都市にいて男は一日の慌ただしい仕事に追われ、大人に戻っている。その男とは、かつてふるさとの日の当たる縁側で祖父母に見守られ、天瓜粉を素肌にパタパタとあてられたあの赤ん坊のことだ。
  一人の都市生活者の望郷とその断念と未来に夢を託す姿勢とが渾然と昇華されたこの十四行の作品は、現代という殺伐とした風景の中にも詩は充分に場所を得て、読者に勇気を与えるということを証明した。その表現形式も散文では表しえない詩の強度と純粋を印象付け、歌わずにはおれない内部からの衝迫力は、単なる七五調や五七調の韻律合わせの詩篇と袂を分かっている。人は皆だれでも毎晩のように故郷へ帰って行き、そこから力を貰って戻ってくるのだ。私たち三名の選考委員は一致してこの詩集を推した。
  小長谷氏の知的瞬発力としたたかな現実認識、さらには酔っ払いのような身のこなしから生まれるノンセンスの言葉(コトバ、詩、詩のようなもの)には、現実世界のさまざまな矛盾を明らかにしつつも世界を無化する力があり、最終段階まで池井氏と競う好詩集であった。
  また『静かなノモンハン』の小説家でもある伊藤氏の内側から滲み出る過去の光景と現在との交錯は、思いがけず世界に生起している戦争を問い直すものとなった。抑制された寡黙な語りやユーモラスな作品もかえって過去の戦争の悲しみをありありと想起させた。新藤凉子氏『薔薇色のカモメ』の鋭い人間観察の果てに見えてきた夕凪のような時間。見送った夫や物故した知己への静かな語り口には、気負いや野心もなく「一度しか死ねないのよ/元気で生きていてね!」といって退ける豪胆と繊細に感銘した。御庄博実氏『原郷』は医師としての人道的精神を貫き、通俗的なアジ詩とは異なる内面化された語りに迫力があった。特に劣化ウラン連作では広島長崎経験を抜きにしては語れぬ平和希求が胸を打った。尾花仙朔氏『春靈』の怒濤の言葉は仏教やキリスト教の素養をもとに世界に視野を広げ、現在の戦争への批判や自らの個人史を織り交ぜた叙事詩的黙示録となったが、やや内実に結晶度が不足した。