白石かずこ「一行詩のかかえる壮大な宇宙と直截なダイナミズム」

著者 白石かずこ
タイトル 一行詩のかかえる壮大な宇宙と直截なダイナミズム
出版年月/出版社 受賞回[年] 10回[1995年]
分野 分類

  このたびは多くの作品の中から、魅力ある荒川洋治の『坑夫トッチルは電気をつけた』らの作品が最後まで残ったが、一行で壮大な宇宙を一瞬のうちにえぐりだす宗左近の詩集『藤の花』に決定した。
  作品のもつ風格、品格、完成度にもまして若々しい鉈ふりおろすが如き、アクティブでダイナミックな詩の着眼、そこには、人生、人間を熟知したものの叡智と哲学が背後に静止している。
  その静まりと炎の過激ともいえる情熱の内と外のバランスは充分にドラマチックで、一行詩がひとつの沈黙の舞台にも雄弁術にたけた詩人の啓示にもなるという面白さとVALUEの幅をみせた。
  ここに収められている前半には十六・七歳、旧制高校の時からの作品が数篇ある。
  ここに明晰なものを透視する眼の確さと明らかな美の才能を、当時から鋭く芽生えさせていたことに驚嘆した。

  柩に月光  風景のけぞらず

  これは既に今日までの五十余年にわたる縄文詩人宗左近の大河的運行を予兆、予感させる作品である。
  縄文をとおし、己のうちなる縄文人と執拗に対話しつづけてきた宗左近の近年の詩群は、問いと答、罪と罰、なぜ、と己を責め尽くし、問いつめ、苛烈に追いこむ作業であった。
  息のつまるほどの、いささかの容捨もしない己をつ応答の作品(すきのない)から今回の一行詩にきて、わたしは無理をしない本来の原初にあった宗左近の天性の豊饒な感性が銀河系から詩宇宙へ解放され流れこむ快挙をみる思いである。
  一行詩であるが、定型の俳句、短歌ではない、あくまでも詩であるということで、あえて季語をはずし、口語でジャンプし、はては一行、一行で成立しながら、三つ並べると連詩になるという効を意識したもの、一行詩の連作が一篇の詩と呼ぶもよし、自由闊達にこれらを試みている。
  カミソリでなく鉈でコトバをふりおろす彼の骨太の感触は、ときどきアイルランドの詩人シェーマス・ヒーニーを思わす。似通ってるように思えるがケルト系縄文詩人と日本の縄文詩人のちがいは、ときに論理がかちすぎるようにみえながら、一方ではまったくちがった包丁さばき、カミソリの美学をもっている。ビジュアルな風景を切りとった詩の秀逸、エロスあふれ、スピリットのエクスタシー走る詩行にもまして宗左近の真骨頂は、

  全山紅葉  全顔紅潮  断ち落される鮭の首

  のような壮烈な鮮明さ、アクティブで直截なダイナミズムである。こうして多作多弁な彼の詩群から離れて、すくっと立つこの一行詩の眺望と宇宙こそ背後の歴史をかえりみる時、真に受賞にふさわしい、と全員一致できまった。