清岡卓行「多様な魅力」

著者 清岡卓行
タイトル 多様な魅力
出版年月/出版社 受賞回[年] 1回[1986年]
分野 分類 選評

  詩集『東京』を構成している二十篇の詩作品はそれぞれに魅力があるが、私はとくにそれらの中の三篇に惹かれる。
 「詩とは歴史を担う根拠である」とは、ある哲学者の言葉だが、清水哲男は詩作品「きみたちこそが与太者である」において、「詩とは空虚に耐える根拠である」と語っているかのように見える。
  十全な形で思い描かれる歴史と空虚。それらは二律背反し補完しあう二つの極点でなければなるまい。いってみれば清水哲男は、それらの中間にあってそのときの自分にかけがえなく親密な一点を、ほとんど空虚にばかり意識を向けながら、今日の東京の情景、そこでの自他の生活を媒介として、攪拌的に描きだそうとしている。したがってそれは、混沌の断面がときに眩ゆく乱反射するところの、ある意味における充実でもあろう。
  遠い地方から冷感を通じて至る東京には、夜明けの町という草原があり、そこに高度産業社会をかたどるところの、高層ビルというジラフが住む。東京における一滴の水のような詩人は、空虚に弄ばれる活力としての与太者というイメージを通じ、賑やかに暮らすさまざまな他人の群れと、ついに交換可能となる。そして、生きものである白猫の凍死の傍らで、高層ビルであるジラフが、「ガクリと首を折る予感」をあたえる。
  この詩作品を繰返し読めば、中年の生活における空虚の狂おしさといった脂汗が、随処からにじみでてくるのが感じられよう。
  私がとくに惹かれるもう一篇の詩「昔からだ」は、詩人の詩意識が小説の世界にたいして抱く不安や懐疑を、「読む時間なんかないのに小説を読む」習慣に対比させたものである。一節二行で、二十二節から成り、ほとんどの場合、各節の二行目は「昔からだ」というルフランである。
  この対比の根底には、他人を理解することの不可能と他人への親愛という、やはりきびしく二律背反的なものが流れていよう。そのことについての持続的な意識が、清水哲男独特の率直な、しかしまた含羞の情感をもって歌いあげられているのである。
  さらにあと一篇、私のとくに惹かれる詩作品は、「この詩を書いたあとで、スタンカに会えた」である。清水哲男の野球好きは、草野球のチーム「ポエムズ」の監督をするほどのものだが、この詩ではその情熱が、自分の実生活の年月を隔てた二つの場面を、立体的にうまく組みあげさせている。
  訪米した元南海の野村捕手が元南海のスタンカ投手を訪ね、キャッチボールをする。四十五歳の詩人は、家庭で娘たちの笑い声を聞きながらその画面を眺め、二十年も昔の日本シリーズで、スタンカのストライクと思われた貴重な一球がボールと判定され、やがて南海が敗けたときのことを、ほろりと思いだす。そのとき、詩人は二十代で、印刷工場のテレビでその画面を見たのであった……。