倉橋羊村「孤高の心象風景」

著者 倉橋羊村
タイトル 孤高の心象風景
出版年月/出版社 受賞回[年] 9回[1994年]
分野 俳句 分類

  今回も選考委員三人がそれぞれ違う句集を推薦したので、審査は最初から難航した。
  沢木欣一さんは『酔歌』(原子公平)『耳順』(有馬朗人)の二冊を推したが、『五色山』(千原草之)を推す稲畑汀子さんから一冊に絞る提案が出されて『酔歌』一本としたものの、『吟遊』(中村苑子)を推す倉橋となお三様の平行線のまま進行しないため、再び稲畑さんの提案で二名連記投票にかけることとなり、その結果『吟遊』三、『酔歌』二、『五色山』一となって、中村苑子に受賞が決定した。その経過の中で、稲畑さんから『酔歌』の受賞は認めたくないとの発言があり、審査に当っての選考委員の俳句に対する考え方の基本的態度は尊重すべきものと思うので、ここに付記しておきたい。
  中村苑子は三橋鷹女、高柳重信の影響下にきびしい発想と表現を身につけ、寡黙で孤高のユニークな作品世界を確立した。『吟遊』以前の作に「わが墓を止り木とせよ春の鳥」「落石か我か落ちゆく青峠」「撃たれても愛のかたちに翅ひらく」などがある。

    死に侍るは誰か鵺かや春の闇

  いずれ罪深き文業の果て、死の枕頭に姿を見せるのが、おぞましい鵺であっても不思議はない。このまがまがしい怪獣は、その全貌を闇に潜めたまま、おのれが鵺であることを作者に知らせて憚からないのだ。

    帰らざればわが空席に散るさくら
    この椅子に人在らぬ日の夏落葉

  不帰の日を思う感慨が、おのずから読者の心にしみる。永遠の空席を、作者は告げるのだ。さくら散る日、夏落葉のきらめく季節、その時がやってくるだろう。

    身のなかに種ある憂さや鶏頭花

  鶏頭のどこかぶ厚い感触のなか、種を探り当てる時の驚きを思う。種の保全のはたらきは、人間とて同じことだ。生命の始原の因子をわが身の中に持つことの自覚は、とりあえず「憂さ」としかいいようがあるまい。

    雪明り虚ろの姉に添ひ寝して

  説経節の安寿は、若年ながらこの世を夢まぼろしと見据えた末に、弟の厨子王をそそのかして逃がし、みずからは夢のぬけがらと化して、両膝の皿を割られる折檻の果てに絶命した。夢見がちの姉のそばに、妹が賢げに添寝するのも、古い物語によく見る筋立てだ。「虚ろ」は恋などの浅狂いに通じ、日常坐臥からはみだす心根の切実さが、雪あかりのこの世ならぬ眺めと重なるのだ。

    あの遠き枯木なんの木なんの鳥

  作者は、「近頃、人間一個の心理を詠うことなんか何ほどのことやあらん、と思えてならない。一句を読むと、どこからか涼しい風が吹いてくるような、澄み透った水の上を渡ってくる空気のような俳句が書きたい、と思っている」と、述懐する。この句は、そういう心象風景の一つといってよかろう。