倉橋羊村「自然体の自在さと、新しいおかしみ」

著者 倉橋羊村
タイトル 自然体の自在さと、新しいおかしみ
出版年月/出版社 受賞回[年] 8回[1993年]
分野 俳句 分類 選評

  三月二日如水会館で第八回詩歌文学館賞の選考委員会が開かれ、俳句部門では澤木欣一、稲畑汀子、倉橋羊村がそれぞれ候補作品を挙げて慎重審議の結果、能村登四郎句集『長嘯』に授賞することと決定した。
 稲畑氏は、新進気鋭の作家が受賞することで賞の新しい魅力を引出したいという見地から、千原草之句集『風薫る』を終始熱心に推されたが、最終的には『長嘯』授賞に合意された。なおノミネート作品中、細見綾子句集『天然の風』があったが、澤木氏が夫人の作品のゆえをもって推されなかったのは、近頃平気で近親者を推薦する風潮の中にあって潔い態度というべきである。
『長嘯』は作者の第十一句集で、老来の自在な句風に新境地を開くものとして注目したい。前回の故阿波野青畝氏とはまた違った意味での老年期の指標とすべきであろう。

    雛つつむ薄紙に音ありにけり
 
  虚と実のあわいのところを描きながら、かすかに艶の気配をとどめる。これも老来の作風の一特徴である。

    のっそりと来て恋猫の胴のばす

  いかにも猫らしい動作をとらえ、どこかにおかしみを感じさせるところ、老熟というべきだろう。実在感を押しつけず、かつ軽みを狙わずおのずから猫の姿態が見えてくる。

    まさかと思ふ老人の泳ぎ出す

  意外性への驚きも、自然に表現されているので、読者もそのまま気分がついてゆける。仕組んで読者に強いることがないからだ。

    しつかりと緊む甚平のかくし紐

  表からは見えぬかくし紐に着眼して、甚平の要点を一句のポイントに仕立てている。

    老裸身にも月光の痛かりし

  老年の含羞を程よく出している。老醜に患わされぬ美意識のさりげない主張といえる。

    次の世は潮吹貝にでもなるか

    屋根あかきごきぶり小舎の出来上る

  奇想天外な発想の句といってよい。俳諧へ引き込もうとせず、あえて別なおかしみを探ろうとする意欲に賛意を表したい。俳諧や川柳とは異質のおかしさもあってよいのだ。

    花栗のもじやらもじやらの下潜る

  こういう実感本位の表現も自在さの内だ。

    霜掃きし箒しばらくして倒る

    白絣着くづれ頃を人に逢ふ

  自然体の中に時間を呼び込み、見えない因果関係やちぐはぐの面白さを表現している。
  老来シャイな気質と艶を内に秘めながら、見え隠れに美意識をつらぬくのが近来の特徴で、これからも新機軸を期待してやまない。