野澤節子「感想―ヒューマニズムの温もり」

著者 野澤節子
タイトル 感想―ヒューマニズムの温もり
出版年月/出版社 受賞回[年] 5回[1990年]
分野 俳句 分類 選評

  佐藤鬼房氏の『半跏坐』が受賞作に決定した。
  鬼房氏は戦後、新俳句連盟に加入、西東三鬼に学び、社会性俳句が俳壇の趨勢となった時代に、その旗手として台頭、ヒューマニズムを基調とするリアルな作風で大いに活躍。山口誓子の「天狼」同人となり、根源俳句の影響を受けつつ、その後は自らの想念を自然に托する作風が濃くなった。『半跏坐』もそれを深め、かつ広めた作品集である。昭和六十一年、胃切除の大患前後の作は、生命の危機感を孕みつつ、いのちの混沌を己が坐として生きんとする切迫感に満ちている。しかも、一貫して東北の風土に根ざした強靭さが、作品の根底を支えている。
  雪兎雪被て見えずなりにけり
  新月や奈良の泊りの阿修羅
  てのひらの厚みを渡る秋の風
  十月の声の一つにわが風樹
  秋深き隣に旅の赤子泣く (白河南湖泊り)
  忘れゐし三鬼の髭や牡蠣の旬
  小突きあひ跳ねゆく姉妹山桜
 「雪兎」の句は昭和五十九年、句集の初期に出てくるが、鬼房氏のあたたかくやさしい視点と、抒情的な細やかな心の襞が見えている。ことに「秋深き」の作は、芭蕉の晩年の「隣は何をする人ぞ」に通じる人生寂寥の深まりがありながら、それ以上に血の温もりが鮮烈である。それはまた、「忘れゐし」「小突きあひ」などの句に、ヒューマンな姿勢として顕著に表われている。
  六十一年の大患(胃切除)以後は
  鬼灯の倒れて赤を尽しゐる
  補陀落の昼月われを招くかな (月山・湯殿山)
  野葡萄や死ぬまで続くわが戦後
  飴舐めて孤独もどきや十三夜
  まどろみの内へ内へと竹落葉
  半跏坐の内なる吾や五月闇
  迎火に屈みて胸を炙りゐる
など、つねに生死の思念の中で発想されていて、内省への傾斜が深い。しかし、深刻な姿勢を極度に嫌っているかに見え、「飴舐めて」の作では「……孤独擬や」と自らを戯画化する余裕と含羞が、作者のやさしさを際立たせている。「迎火」の作は、そうした作者の大患後のおさえた想念が凝集され、心底が炙り出されている感があり、深い感銘を受けた。
  燈を消せばよくものが見え峡の秋
  七五三妊婦もつとも美しき
  年行くと乙二の山に礼し去る
  国の喪となり七種粥のいろ
  いのちをいとおしみ、自然に礼する透徹した想念のいよいよ深みゆく鬼房氏の作品が、さらに広大なヒューマニズムに根ざした世界で、やさしく輝き、弱きものの心に力を与えていただけるものと思っている。