廣瀬直人「選考のあとに」

著者 廣瀬直人
タイトル 選考のあとに
出版年月/出版社 受賞回[年] 19回[2004年]
分野 俳句 分類 選評

  句集『葛の崖』を読みとおしてまず印象に残ったのは、日常身辺の自然や生活の様子を素材にした作品がほとんどなくて、生活を離れた場面つまり吟行や旅で目に入る状景を詠っているということであった。これはまことに珍らしく、峠氏の個性そのものと言ってもいいだろう。そんな読後感を持ちながら、集の〝あとがき〟に接すると、成程そうだったのかと合点がゆく。
 氏の作句の基本の歩みは客観写生の道であった。その写生の目のつけどころを捜す最もよい方法は吟行であるという。文中では、「吟行とは一期一会の出合いを求める最良の方法と思います」と言い、「写生派は当然吟行派ということになります」とまで言いきっている。筆致そのものはやわらかいが、内面には写生句を目指す人の強い信念さえ感じさせる。さらに、こういう文章が続く。
  「この句集の開巻第一句には、
      冬空やキリンは青き草くはへ
    という動物園の吟行句を掲げました。そのときの動物園における一
  期一会がわかってもらえるでしょうか(後略)」
 読者への註文の形をとった文章である。これに対する答えは別にして、晴れわたった冬の空の広がりと、青い草を口にくわえたキリンとの醸し出す状景には、単純な描写を越えた氏らしい感受の内面を読みとることが出来る。
 この作句の過程から特徴的に表われてくるのは固有の地名を使った表現である。その中の数句を挙げてみる。
 どの坊も花の枝垂るゝ身延かな
 木苺の花越しのぞく平家谷
 摂津にて払ふ河内の草じらみ
 おはすかに障子灯ともる蘆花旧居
 鷹高しこれより近江渡るべく
 これらの作、本来は旅吟といっていい作品だが、峠氏にとってはあくまでも吟行句と言いたいところであろう。どの句からも風景に寄せるひとりのこころが見えてくる、淡々とゆったりとした詠いぶりである。中でも、「蘆花旧居」の作に垣間見える叙情の内面は峠俳句に厚みの加わる要素として注目していきたい。その奥には勿論〝一期一会〟の思いも横たわっていよう。
 錫杖に似たる棒あり炭を焼く
 木さゝげに鯉のしぶきの届くべし
 宝恵駕籠を迎ふる宮司直立す
 檜扇の紐ありあまる雛かな
 蝙蝠の群にひるまず水棹さす
 猪のぬた場にも来る石叩
 私の心惹かれた句の中から抜いた諸作である。第一句の炭焼きの棒を錫杖に見立てる目。第三句の、〝十日戎〟の「宝恵駕籠」を迎える「宮司」の直立の姿を捉えた諧謔の目。第四句の、「檜扇の紐」を「ありあまる」景として感じとった目、さらには蝙蝠の群れ飛ぶ中を水棹をさして進んでいく姿を「ひるまず」と捉えた目など、峠氏の飄々とした風姿と鋭い感受の内面を見せてくれる。最終選考会は、氏の作のこうした独自性の評価で一致した。