川崎展宏「方法論の裏づけ」

著者 川崎展宏
タイトル 方法論の裏づけ
出版年月/出版社 受賞回[年] 12回[1997年]
分野 俳句 分類 選評

  今回の受賞の対象は句集の全句ではない。対象は句集『流』(ふらんす堂)の第四章「花筧はなかけい後」九十一句である。ところで、著者は喜寿を自祝して、私家版の句集『花筧後』(卯辰山文庫)七十七句を平成七年二月四日、七十七部限定で出版している。有馬朗人・石原八束・川崎展宏の三委員は、そのことを踏まえて協議したが、『花筧後』は私家版で七十七部が配られただけだから、上記の作品を選考対象から外すべきではない、との結論に達した。推薦順位に異同はあったが、三選者が候補に入れていたので『流』の作品が浮上、受賞と決まった。委員の各年度の役目として、今回は石原氏が受賞式での推薦の弁を、川崎がこの文章を担当することになった。
  安東次男氏の一句一句は、氏独自の方法論に裏づけられている。氏は多年、芭蕉の発句・連句、また「おくのほそ道」に芭蕉の方法を探って来た。その執拗なまでの熱意と創見に満ちた業績は周知のことである。氏の『おくのほそ道』(83・3岩波書店)のおわりに添えられた「解釈ということ」は氏の解釈の方法の基本を語っているが、『炭俵』の「振売の雁あはれ也えびす講」の歌仙を如何に解釈するか、過去四回の自身の評釈に触れながら、「振売」の夏炉冬扇の興に気付くまでに七年、
「月も花も詠まぬ」野坡の風狂に気付くまでには、十年かかったと告白する。正・続の『七部集評釈』は「絶版にするしかない」とまでいい切る。解釈の方法は、必然的に自作の方法にもなっているわけで、実は
「俳句」(角川書店)の平成七年五月号から十月号まで「自注・俳句をどう読むか」を連載。「花筧後」の句について、作者の方法をA・Bの対話形式で解いてみせる。要点のみを記してみる。
    十一が来て余したる日暮れかな
                              那須湯本
  Bがいう。ジューイチは「日暮れを引伸ばすふうに鳴くのが印象的な鳥だ」「〈慈悲心鳥(じひしん)――〉でも句にはなるが、〈余したる日暮れ〉が気分で読まれて、〈十一〉の軽妙さが消える。加えて、〈慈悲心鳥おのが木魂に隠れけり〉(普羅)というような知られた句があってみれば、呼名を取替えてこそ唱和になる、と考えたのではないか」と。
    むらぎもの影こそ見えね心太
  Aがいう。「むらぎも」と、心にかかる枕言葉を置いて「〈ところてん〉と表記するわけにもゆかぬ。たぶんトコロテンを句作りしようと思って、ムラギモを思いついたのだろう」と。この句の虚実には俳諧があるが、俳諧のうしろに「むらぎも」=「群肝」の、つまり命の淋しさといったものを読みとることができる。淋しさといえば、自注にとりあげていない左の優しい句にも、それはある。
    搔氷とほ目を遣ふくせつきて
    方寸に何を飼うてや蟲の秋
  次の句などは、捨扇に語りかける淋しさ。
    身ほとりに置くほかはなし捨扇
  喧噪の俳壇を離れたところで、方法を尽くしたあとに出て来たこの淋しさは尊いというべきだろう。