大西民子『風の曼陀羅』(1991年11月/短歌研究社)

著者 大西民子
タイトル 風の曼陀羅
出版年月/出版社 1991年11月/短歌研究社 受賞回[年] 7回[1992年]
分野 短歌 分類 作品

[略歴]
  一九二四年五月八日、岩手生れ。奈良女高師卒。現代歌人協会員。
『風水』で第十六回迢空賞受賞。歌集『まぼろしの椅子』『不文の掟』他。

[受賞のことば]
  このたびは全く思いもよりませんでした詩歌文学館賞の栄誉を賜り、御礼の言葉もなく存じます。石川啄木の故郷に近い盛岡市に生まれ育ったため、早くから短歌にあこがれ、たどきなく左手の指を折って五七五七七と作歌を始めてから、もう五十数年もたちました。その間に最高の師にめぐりあいましたことや、奈良に学生時代をすごしましたこと、知友に恵まれましたことなど、思い返しつつ、姿勢を正してこの後も励みたいと存じます。

 
[作品抄出]

オルゴールを閉づれば戻るしじまありよはひは既に乱を好まず

どのやうに立つ牛ならむ立つときを忘れしさまに反芻にれかみやまず

藻屑燃す煙の遠くなづさへば北京原人シナントロプスが焚きし火思ふ

帰り来てしづくのごとく光りゐしゼムクリップを畳に拾ふ

おのづから意識遠のき豆電球のごとくになりてしまふときあり

見しことを見しと告げずにおくことも三人みたり相持つ罪のごとしも

今使ふ錐にあらねど目の前に見当たらざればおちつかずなる

ヘッドライトに照らし出さるる夜の坂きに見ざりし木が立ちあがる

こだまにも遅速のありてはるかなる雑木の山も芽ぐまむころか

四方八方しづくの音にかこまれて雪の夜は雪の檻のごとしも

合はせたるグラスの音のかそかにてこの世を去らむ順なれど知れず

白骨しらほねとなりても遂げむことありや水に押されて水動きをり

かたまりて沼のくらがりに眠るらむ眠れぬ鴨はどうするならむ

逆算してやうやくわかる支出ありまれに紙幣をそろへむとして

くらがりを怖るるとにもあらねども未だなまなる部分持ちあふ

鏡より顔を剝がしてふり向けば何かが立ちてゐて隠れたり

犬たちに匂ひの地図のありといふゆつたりとをり老いたる犬は

医薬もて部分部分を癒やしつつ全身のことは癒やしがたきか

高天原も卑弥呼の国もありつらむ取り巻く山のいづこも青き

若ければ蹄の音も聞こえゐき騎馬民族の説ありしころ

古への武具の名持てるうつぼぐさが侍女としてわれは果てけむ

まぶしさに馴れて見をれば雲はみな目ざす溜まり場ある如く飛ぶ

亡き人をあしざまに言ふを聞きをればわが死のあとのはかり知られず

集ひても散りても色のとりどりに大き声せり老いし人らは

ねんごろの見舞ひなりしが去りぎはに人のいのちを測る目をせり

残れるはコスモスの花すすきの穂ばつさりと切る何か欲しき日

二人だけの言葉をピアノと交はすやうに調律師はをり二時間ほどを

過ぎにしやこののちなりや断崖に立つ日のありといふ占ひは

すれすれに地上を飛べる子雀も次第に角度をあげてゆくらむ

根の国にみんなられてこの年もただ雪を待つのみとなりたり

幾人も住むかのやうに灯をともすフランスパンをき帰り来て

ひきだしに沈めし鍵を探しゐて鍵のみを探しゐるにもあらず

なかで何か起こりゐるとも知らぬまま持ち歩く箱のごとし体は

どのあたりまでを知りゐて声合はせ「あの子が欲しい」などとうたへり

黄のセダンのうしろのドアがしめられて何かが終はる思ひしたりき

(掲載作選出=菱川善夫)