尾崎左永子『薔薇断章』(2015年10月/短歌研究社)

著者 尾崎左永子
タイトル 薔薇断章
出版年月/出版社 2015年10月/短歌研究社 受賞回[年] 31回[2016年]
分野 短歌 分類 作品
[略歴]
  一九二七年東京生まれ。現在『星座』主筆。第一歌集『さるびあ街』(日本歌人クラブ推薦歌集)以後歌壇を離れ、ボストンより帰国後は古典解読に没頭。著書に『源氏の恋文』(日本エッセイスト・クラブ賞)『梁塵秘抄漂游』『香道蘭之園』(校注)他。歌集は『夕霧峠』(迢空賞)など十三冊。鎌倉在住。

[受賞のことば]
  私の生涯最後の歌集と思い定めていた歌集が、思いがけず名誉ある賞をいただくことを知り、心より嬉しく有難く思います。年少のころ短歌を出発点とした私は、永い生涯の中で放送詩、合唱組曲の作詞、古典解説、時には翻訳まで、多くの表現形式に手をつけて来ました。しかし十七年の空白を置いて短歌形式に立ち戻ったことは、短歌を愛する自らに気付いた結果でした。その選択が間違っていなかったことを証明していただいた気がして、深く感謝申し上げます。これからも命終まで歌を作る勇気を賜ったと思います。
 
[作品抄出]

帆走するヨットの群が海光にまぎれゆきつつ冬日眩しも

坐ることなきままに置く椅子の位置すでに現世になき人のため

音のなき雨降りいでて柿の花蔦の花みな青き水無月

鎌倉歌壇の(をのこ)ら心優しくて一真・佐重郎と酒汲み交はす

生きて来て悔ゆべきことのありやなし晩秋の街にサルビア朱く

万緑に風立つまひる光乱れ冬青(そよご)の若葉もつともそよぐ

つばさの影さして過ぎゆく鳶のありつばさの影は若葉をわたる

墨磨りてゐるひとときの無心のなか人の怨嗟をなつかしむなり

昼の雨乾きゆく石の河原に菜の花の黄は位置粗く咲く

戦時下の東京に生きし一人ゆゑ余剰のよろこびつつしむ吾か

ものの芽のひとつひとつが(とが)りゐるかかる不思議を見つつ虔しむ

抒情など捨てんと思ひ定めたる若き傲慢をなつかしむいま

知るゆゑに言はぬこともあり蠟の灯の炎の(さき)の見えざる熱気

自覚なく世の先端を走りゐしテレビ作家の時代ありたり

一瞬の時空とらへて揺るがざるこの小さなる詩型を愛す

夜の闇の無音に馴れて山棲みにわれは生き来つ冬夜思へば

てのひらの林檎つめたしよみがへる過去は一瞬懺悔に似たり

蟬声(せんせい)の降りくる桜樹(あうじゆ)の下ゆきて思慕また深し今日佐太郎忌

()が病めば自責の思ひ堪へがたし母なる位置を放つすべなく

生も死もいづれ選ぶといふことの可能ならねば一日を愛す

涙流すこと恥として生きて来し世代ゆゑのみこむ涙が熱し

生きてある限りわれにも未来あり春蘭()り来てほのぼのとゐる

お前はもう充分堪へた吾娘(あこ)の死を褒めつつその髪撫でゐたりけり

憂ひなく地下珈琲店に入りしかど亡き()に似たる横顔に逢ふ

谷あひの踏切を過ぎてゆく電車音の(かたまり)()きつつぞ行く

陽のぬくみのこる茄子の実(てのひら)(いくさ)の日々の記憶は(にが)

薔薇の棘みな()がれたるやさしさか渡さるる束は(しな)ひて重し

まだ光つよき夕日を眩しめば水平線(ホリゾント)は輝く曲線に見ゆ

(掲載作選出・栗木京子)