佐藤通雅『強霜(こはじも)』(2011年9月/砂子屋書房)

著者 佐藤通雅
タイトル 強霜(こはじも)
出版年月/出版社 2011年9月/砂子屋書房 受賞回[年] 27回[2012年]
分野 短歌 分類 作品

[略歴]
  一九四三年岩手県奥州市出身。宮城県の高校に勤務し、二〇〇三年定年退職。一九六六年に個人編集誌「路上」を創刊、二〇一一年に一二〇号をもって第Ⅰ期終了。河北歌壇選者。宮沢賢治  学会理事。歌集のほかに『新美南吉童話論』『岡井隆ノート』『宮沢賢治 東北砕石工場技師論』などがある。

[受賞のことば]
  学生時代に「短歌人」に入会しましたが、個人編集誌を主たる表現の砦とするようになって結社を離れました。その後も短歌は目立たないところで継続してきましたが、3・11を境に一時は溢れるように歌が湧きました。余りにも巨大な虚無に対して抵抗したかった、死者の無言の分も奪還したかった。ちょうど『強霜』の編集を進めていました。しかし「震災歌人」とか「震災歌集」のような形で時流に乗る気になれず、収録しませんでした。そんな地味な歌集に拘らず照明を当てて下さった選者の方々の見識には、感謝申し上げます。

 
[作品抄出]

たまたまに柩車のあとにしたがへば青葉は照らふ黒の車体に

文学はかく端的に駆逐さる巨大墓場のやうなり  古書店

一時間の書写をへ硯のふたをとづけふのはじまりとしての墨の香

自が思ひ届かぬことにいらだちて鬱深むるを長寿とぞいふ

ガリ版の溝につまりしらふ削る金毛のブラシといふがありたり

近いうちに必ず来ると予知されし地震の寸胴ずんどうのやうな雲だな

予期せざるときに切れたる電球を外すときまだ温もりのあり

痰壺とふ異な陶壺が停車場の片隅々にありたる昭和

室内にビロードの蛾の生れたれどやがてはかなく一生ひとよを終へぬ

どうしても固有名詞が出てこないあるかたまりとしてそこにあるのだが

寒日を重ね重ねて強霜こはじもはひしひし金の芝侵すなり

鉛筆の芯に不純のもの混じる朝の触覚のうらさびしけれ

子ら置きて帰ればサッカーボールにも一夜の長き時間あるべし

試着室の下にくるぶし見えゐしがすとんと薄き衣の落ちたる

ことのはを持てるは悪のはじまりか風の丘に来て雲と光に問ふ

エレベーターは地下へ通じて裏口に車待機す  死はこともなし

けふはまたうつけのやうな雨だなあネコが軒下をほそほそ歩く

母往きてのこれる毛糸三本を縒りて編みゆくこの青梅雨を

とろとろとなるまで磨きあげられし消防車三台河川敷にならぶ

死ぬべきがここまで生きてと悔しがる人も漏れなく罷りたりけり

和紙の冷え広げて書写うつす『正法眼蔵げんざう』にこの一年はたちまち過ぎつ

トンネルに入りしときマスクの顔写るまがふなし永久に不信のものにて

発表のあてなく文を書き溜むるこのひと冬の贅といふべく

死にゆくはこの世の温み失すること氷河のやうな弟の額

雪雲の切れ間を洩るるひとたばの光ありて地のしばし荘厳

森のやうな男が駅前に座を占めてきいのバナナをむきはじめたる

餌を欲りて鯉凄まじく岸に寄る世を生き抜くは美しからず

けふはここまで。編み棒二本毛糸玉いとに刺すかかる立ち居も秋の日のもの

余命いくばくのときもわたしは編むだらう板敷のに毛糸ころがし

(掲載作選出・小池光)