窪田章一郎『定型の土俵』(1994年8月/砂子屋書房)

著者 窪田章一郎
タイトル 定型の土俵
出版年月/出版社 1994年8月/砂子屋書房 受賞回[年] 10回[1995年]
分野 短歌 分類 作品

[略歴]
  一九〇八年八月一日、東京都生れ。早大卒。早大名誉教授、現代歌人協会、和歌文学会会員。『素心臘梅』で迢空賞、『窪田章一郎全歌集』で現代短歌大賞受賞。

[受賞のことば]
  短歌が私にとって最も貴重なものだと悟って詠みはじめたのは戦時で、以来六十年第十歌集がこのたび賞を受けることになった。不安・動揺の時代に一つ確かなものをと求め気づいたのが、自己の心の表現であった。短歌はこれでいいのか、世に通るのかと思った初期の気持は現在に及んで居り、このわがままな内容の歌集が認められ、受賞の知らせに接した時は、以上の意味でほっとした。率直に今の思いを言葉にする自己表現が世の人に受け入れられるのは、ひそかにありがたいと思っている。

  
[作品抄出]

世にし見るたしかなること人ら逝き生き生きとその面影浮ぶ

百九年遙かなれどもいまの世になほいまし得る齡かも父は

過ぎし日の農家圍みし槻いよよ老いてめでたき町の一郭

昨日見ず明日の知られず今宵逢ふ月はめでたし逝く秋の空

名取川谷も流れも深紅ぞと歌とどめけり若き西行

原稿の斷簡も心のこもるものよろこび收めてくるる圖書館

走る人體操する人われよりも若しと見つつ公園步く

カザフ族殘して去りしパオいくつ緑色うるはし雪降る山に

石の階を登り降りする石の廊砂漠の風は砂つもらする

女性像十體がならぶ北魏の窟うつくしき貌にみな個性もつ

一つ一つ見終るに錠のおろされて別れ來ぬくつなるあまた佛たち

空飛ばむ夢の造型〈馬踏飛燕〉土より出でしを空路來て見つ

生活の生みける土器に見る文樣五千年前なる黃河の渦卷

遠き道步き使つかひせし得意をば少年われに敎へけり父は

物をいふ鏡がありて二三日忘れし髭を今日は剃るべし

シヤツジヤケツカーデイガン重ぬる不樣ぶざまさを見かぬるときに物いふ鏡

思はざる花どきにあふ吉野山今年はおそくひとときに咲く

今年また花にはあへじと來にし山さかりなりけり吉野の櫻

花見びと混むときすぐして山に入り若き西行のこもりし庵か

ちかぢかと谷の斜面に咲くさくら庵に仰げば空に明るし

自分のかねで旅して來よと言はしし父いかなる時かあとさき忘る

實のなる桃花のみの桃咲く色のことなるを語れり北京の詩人

抑揚とよきとをもち詩をむ聲うたふがごとく中國語うつくし

老槻の枝岐れする大き瘤中空なかぞらにして安らけく見ゆ

をみなの愛ありてわれあり靜かなる月仰ぎ思ふ健やかに生くるを

八百年過ぎし二月きさらぎの十六日西行の忌日きにち今年は忘れず

すべりなば轉落せむ山の殘雪を踏まむとし歸りてくる時をおもふ

今年また籣亭に來ぬ這入はひりなる田は鋤かれゐて蓮華花浮く

獨裁者豪奢もあばかれ殺されぬ政治體制のみによらざり

一冬を使はぬ手袋ふと浮び傘にぎり行く彼岸過ぎの雨

八つの子は八十二なり母逝くがしかとは解らずありしわらはべ

今日わが手離れてゆきし短文の二編あり心かろくなりゐる

コンクリートの急はんうづめし秋落葉やがてになり消えゆかむとす

くさぐさの落葉積りし胸突坂秋の名殘の葉を踏みくだる

子のわれが文字となしゐる空穗像まとめかねゐるあはれ斷片

(掲載作選出=森岡貞香)