清岡卓行『パリの五月に』(1991年10月/思潮社)

著者 清岡卓行
タイトル パリの五月に
出版年月/出版社 1991年10月/思潮社 受賞回[年] 7回[1992年]
分野 分類 作品

[略歴]
  一九二二年六月二九日、中国大連生れ。東大仏文卒。五九年処女詩集『氷った焰』。七〇年小説『アカシヤの大連』で芥川賞。詩集『ふしぎな鏡の店』他。

[受賞のことば]
  数年前パリの五月に出かけたときの体験をおもな題材にした詩集によって、今回思いがけなく詩歌文学館賞を頂くことになりましたが、その式は北上の五月に行われるわけで、日本とフランスの五月が重なるこの偶然に、心のなかをある爽やかな風が吹き抜けて行くのを感じます。
  偶然といえば、パリへの旅行で詩を点火してくれたものは、多くの場合、偶然の出会いへの驚きをともなう事物への感動でした。

 
[作品抄出]
 

  シャルル・ボードレールの墓

少年の日から、深く憧れていた
遙かなフランスの詩人
それも  百何十年かまえに死んだ詩人。
いま  地球のうえに
生きている人間たちのすべてのなかで
あなたの墓
あなたの遺骨に
いちばん近く寄り添って立っている人間は
きのう東京から
初めてパリにやってきて
きょうモンパルナスを散歩していた日本人です。
そんなことがあっていいのでしょうか?
この奇蹟のなかで  わたしは
頭がくらくらします。
 
五月のよく晴れていた日は
もう  夕暮れに近く
塀の内側の並木の緑を爽やかに感じた
モンパルナスの広い墓地は
深閑として  風が絶え
人影がほとんどありません。
 
あなたが日記のなかで  何回も
皮肉な口調で用いた言葉を借りるなら
これは  墓参のひとにあたえられる
ありふれた特権によって
愚かな旅行者を酩酊させる
なんと不気味な「売淫」でしょう。
 
だれが献じたのか
あなたが  恋人とではなく
実母と義父といっしょに眠っている
墓の石のうえに
白く小さい可憐な花をたくさんつけた
鈴蘭の花束がおかれています。
パリに不案内で
おまけに行きずりの墓参のわたしには
捧げるどんな花束もなく
ふと  あなたの詩集のなかの
薔薇のかたちを思い浮かべました。
 
薔薇の花そのものの美しさは
眩しくも生生なまなましすぎるのか
それとも  羞じらいを覚えさせるのか
たぶん一度も描かれていません。
しかし 「薔薇色の」という形容の言葉は
「薔薇色の靄」とか
「薔薇色の乳首」とか
「薔薇色の小妖精」とか
まるで演出における照明のように
くりかえしよく用いられています。
そして 「萎れた薔薇に満ちた」という
官能のために古びた空間を修飾する語句や
「初咲きの薔薇」という
処女性の暗喩などが
短い旋律のようにごくたまに現れます。
 
いかにもダンディらしく屈折した
その美学の謎が
少年の日からずっと
わたしにはうまく解けていません。
 
もうすぐ  墓場の閉門の時刻です。
まだずいぶん明るいけれど
さきほど門を通るとき
制服の黒人の門衛にそう教えられました。
 
二人の金髪の少女が
あなたの墓のまえの通路を
笑い顔で言葉を投げあいながら
あわてた小走りで
どこかの墓へと急いで行きます。
その一人がぶらさげている手桶には
黄色い花束。
 
わたしが立ち去ると  やがて
この静謐の空間に
燦然たる日没がやってくるでしょう。
そのとき
生前のあなたには「仇敵」であったもの
しかし  死後のあなたには
「粗暴な独裁の権力」をついに失ったもの
すなわち  時間が
あなたの思い出のために
しばらく優しく流れますように。
そして
あなたの墓をつつむ空気が
美しく  透明な
半球の形の
薔薇色となりますように。

 

  身ぎれいな乞食

  パリの短い滞在者である私は、五月の明るい午後、地下鉄へのある入口の階段を降りながら、改札口までの細長い通路でまた音楽にぶつかるといいなと思った。それまでそこを通った二回とも、壁を背にしてなにかに腰をおろし、楽器を弾いている人がいた。一回目は左側で、インドあたりのものらしい撥弦楽器を騒がしく搔きならし、哀調を含む曲を奏でていた青年。二回目は右側で、チェロをざらつかせながらも伸びやかに鳴らし、バッハの『無伴奏チェロ組曲第二番』のサラバンドを奏でていた青年。通路の細長い空間にこもるように流れてゆくそのひびきには、耳の奥にやや押しつけがましく迫ってくるいやな感じがないわけではなかったが、演奏者の傍らに立ちどまったのはごく短い時間であったから、音楽への渇きをうるおしてくれる快さがそのあいだに途ぎれることはなかった。
  ところが、この三回目に私の期待はみごとにはぐらかされた。右側の壁を背になにかを敷いて坐り、楽器もなにも持っていない四十代ぐらいの女の姿が見えてきたのだ。乞食かしらと思ったが、薄青い衣服は質素な感じながらたいへん清潔で、褐色の髪はきちんと整えられ、中肉の顔の白い皮膚もまったく垢に汚れていないようだ。いったいなにをしているのか?  私は理解に苦しんだ。しかし、やはり乞食であった。坐った前にひろげた布には貨幣がばらばらと置かれていたのだ。驚いた私の眼と彼女の眼が合った。悲しげな、訴えるような、視入ってくるような、明るく青い眼である。十人並みの丸い顔立ち。私はしばらく眼をそらすことができなかった。
  私にとって乞食とは、それまで日本と中国で見たかぎり汚らしい存在であった。ときとして、怖ろしいまでに汚い存在であった。いや、これは常識だろう。フランスに私は初めてやってきたのであったが、かつてパリで長年暮らしフランスに帰化した日本人画家が書き残した文章によって、パリには今も乞食が少なくないのではないかと、その汚らしい姿を漠然と思い描いていた。したがって、身ぎれいな乞食とは、私の虚をつくふしぎな存在であった。彼女の前を通りすぎたとき、私の頭はさまざまな想像で刺戟された。――家族はいるのか?  まったくの孤独なのか?  病気なのか?  職につく能力がないのか?  急に小金が必要になったのに、どこからも借りられないのか?  それとも、恥は搔き捨てにして一応の収入をはかる、巧みな身すぎ世すぎなのか?
もちろん、こうした疑問は、なぜ身ぎれいにしているのかという中心の疑問の周囲をめぐるだけのもので、なんの解答もありえなかった。そのとき、改札口へと人通りの少ない通路を歩きつづける私の頭のなかに、シャルル=ルイ・フィリップのごく短いある作品が浮かんできたのである。それは二十年ほど前、私が大学でフランス語の教師をしていたとき、テキストにくりかえし使った彼の短篇小説集のなかに入っていた一篇だ。
  フランスのある地方における一九〇〇年ごろの話である。県庁所在の市の場末に住む老夫婦が、五月と十月にいくらか離れた土地へ物乞いの旅をする。夫はいろいろな鉱山で働いたためかほとんど失明しており、歩くときは杖の助けをかりるだけでなく、妻に手を引いてもらったりする。夫妻は通過する町や村の人たちに好意をもたれた。それは二人の態度がつつましいだけでなく、質素な身づくろいがたいへん清潔であったからだ。夫はどこにも汚れがない青の上っぱりを着ていたし、妻は手籠にいくつも用意した真白い頭巾を一つずつ被っていた。こんなふうに物乞いはいわば和やかに繰り返されていた。ところが、その何年目かの十月に、辺鄙な街道の傍らで夫が倒れたのである。悪寒にふるえるその体を、妻は自分の体を被せて一心に温めつづけた。顔には熱い息を吹きかけてみたが、そのとき彼は五分も前に死んでいたのであった。夫の行き倒れを認めてもらうために、妻は警察で苦労した。翌年の春、寡婦となった妻はかつて夫とそれなりに幸福ないっしょの物乞いをして歩いた町や村を、今度は一人で巡って歩き、感謝と別れの挨拶をした。人びとは話を聞き、この夫妻に名残り惜しいものを覚えた。夫は死んだし、妻は体が不自由でないから物乞いをやめるのである。老いてしまった彼女はどうやって暮らして行くのか?  きれい好きで几帳面きちようめんだから、なにかに雇われて人に好かれるかもしれないけれど――。
  私の貧しい読書の範囲においては、この夫妻だけが小説にあらわれた身ぎれいな乞食である。私は二十年ほど前の教室で学生たちに向かい、これはまだ社会保障や生活保護法がなかったであろうたいへん昔の外国の話ではあるがと前置きして、寂しい街道の傍らで夫の死を妻がみとるこの場面は、小説においても稀な、じつに美しいラヴ・シーンの一つであるように思われると言った。そのとき教室は静まりかえっていた。
  私はパリの地下鉄の人影の少ないプラットフォームに立って電車がくるのを待ちながら、今しがた通路で眺めた身ぎれいな乞食の中年女の姿に、小説のなかのものではあるが、九十年ほど昔のフランスの田舎で夫に死なれた身ぎれいな乞食の老女の姿が、重なっては離れ、離れては重なるとりとめのない辛さを覚えていた。

(掲載作選出=那珂太郎)