吉野弘『自然渋滞』(1989年8月/花神社)

著者 吉野 弘
タイトル 自然渋滞
出版年月/出版社 1989年8月/花神社 受賞回[年] 5回[1990年]
分野 分類 作品

[略歴]
  一九二六年一月一六日、山形生れ。『感傷旅行』で第二三回(一九七一年)読売文学賞・詩歌俳句賞。詩集『消息』『幻・方法』他。

[受賞のことば]
  六十歳を少し過ぎたばかりの洟垂れ小僧ですが、自分に愛想が尽きてしまい、崩れた自分を笑う視点も出てきて、詩でふざけることが楽しくなりました。そういう時期の詩集に今回の賞が与えられたことを嬉しく思っています。また、受賞地の岩手が、啄木、賢治、光太郎ゆかりの地で、「遠野物語」を生んだ不思議な文学風土圏であることも、嬉しいことです。選者並びに関係者各位に厚く御礼申し上げます。

 
[作品抄出]

  少し前まで

少し前まで庭の隅に生えていた若い樹が
家人の手で鉢に移され
陽の当るところで風になぶられている

庭土から掘り出され
鉢の新しい土になじむまでの
根のさぐりかたを私は想っている

必要なだけの土を
緻密に組織する根の、なまめかしい抱擁術
それが私には、少し妬ましい

私はと言えば――人間稼業を終えたあと
軽くなって土の中に送りこまれ
土を抱くすべもなく、崩れて土と交わるだけだ

 

  短日

葉を落した大銀杏の
休暇の取り方

どこかへ慌てて旅立ったりしない
同じ場所での静かな休息

自分から逃げ出したりしないで
自分に同意している育ちの良さ

裸でいても
悪びれず

風のある日は
風を着膨きぶくれています

 

  自然渋滞

道路交通情報の用語に「自然渋滞」というのがあり
時にこれが「自然の渋滞」
あるいは「自然の混雑」となる
助詞「の」は「が」と読み替えることもできるので
私はこれを「自然が渋滞し混雑している」情報として聞き
自然運行の過密と多忙を偲び
同時に、日本人独自の自然観、気質、言語活性化能力として聞く
車の渋滞は人為的調節能力を超えたこと
ジタバタしても始まらぬこと
諦めて慣れるより仕方のないこと
つまりは
人間の手に負えないから
これを「自然」に格上げしようよ
そういう了解が関係者の間で自然に生まれたのだ
〈ゲーテとは俺のことかとギョエテ言ひ〉
に倣って言えば
〈自然渋滞は俺の身内かと自然言い〉
ということになろうか

 

  明るい方へ

鼠が天井裏を走る
――うるさいな、追い出せるといいが
――殺鼠剤がありますわ
天井板を押し上げ、妻がピンクの錠剤をばらまく
数日たって天井が静かになる
――あいつら、どこで死ぬんだろう?
――明るい所に出てきて死ぬそうよ
あの錠剤食べた鼠は、視野が狭くなって
そのあと、目が見えなくなるって……
――視野が狭く?
――暗がりで死んで腐ったりしないように
鼠を明るみに連れ出す錠剤なんですって
最後の目にちらつく小さな薄明、そこへ
力をふり絞って、にじり寄ってゆくのは
鼠ではない
私だ
ピンクの錠剤と似たようなものを知らずに食べたあとの
私だ
誰かが私をうるさがっていた――きっと

 

  夢の周辺

――こんな夢を見た。
「頭を切り替えなさい」
広場の一隅に集まった数十人ほどの人に
壇上の人が鋭く叫んだ。
人々はざわめき
少しためらいながら、言われる通りにした。
両手で首を肩から引き抜き
別の首を肩に据えるのだった――。
考えが行き詰まったら頭を切り替える
過激な自己変革が、いとも易々と行われるのを見て
私は息を呑んだ。
私には、このように頭を切り替えた記憶がない。
そういうことは勇者だけがすることだと
私は思っていた。
しかし、頭の切り替えに似たことが
夢の外では、私にもあったようだ。
人を好きになった若い日
打ち明けもせず、悩みながら
好きな人の目の内側から物を見、物を感じようとし
私自身をさえ、その目を通して眺めていた。
見慣れた物が、新しく、生き生きしていた。
あれが多分、知らずにやった頭の切り替え。
――ひょっとすると、あの奇妙な夢は
愛の永遠の効能〝世界が新しく見えること〟の
暗号映像、そして
老いて投げやりになった私への回春剤
夢の国から贈られた若返りの薬だったか。
私がもう少し若かったら
焼け棒杭ぼつくいに火を放たむ、と勇み立つところだが。

 

  最も鈍い者が

言葉の息遣いに最も鈍い者が
詩歌の道を朗らかに怖さ知らずで歩んできた
と思う日

人を教える難しさに最も鈍い者が
人を教える情熱に取り憑かれるのではあるまいか

人の暗がりに最も鈍い者が
人を救いたいと切望するのではあるまいか

それぞれの分野の核心に最も鈍い者が
それぞれの分野で生涯を賭けるのではあるまいか

言葉の道に行き昏れた者が
己にかかわりのない人々にまで
言いがかりをつける寒い日

(掲載作選出=入沢康夫)