来住野恵子『ようこそ』(2016年4月/思潮社)

著者 来住野恵子
タイトル ようこそ
出版年月/出版社 2016年4月/思潮社 受賞回[年] 32回[2017年]
分野 分類 作品

[略歴]
  一九五九年東京生まれ。一五歳から詩を書き始め、八二年『ブリリアント・カット』刊行。八七年渡米。ロサンジェルス滞在中『ユリイカ』に投稿し、九〇年度「ユリイカの新人」(選者・吉増剛造)。九一年帰国。九六年『リバティ島から』、二〇〇五年『天使の重力』、一六年『ようこそ』刊行。

[受賞のことば]
  太陽がまもなく牡羊座0度に入ります。春分。宇宙の元旦。時間軸をも越える世界のあらゆる連関のなかで、極微小の一点にすぎない私がたったいまこうして万物とともに生かされてあることの不思議にいつも打たれています。詩を書くことは魂の仕事。くらやみの一筋の隘路を、可視不可視のたくさんの存在によって支えられ助けられここまで歩いて来られたことに深く感謝しております。このたびの思いもよらぬ大きな励ましのおかけで、一心に道をゆく新たな勇気を与えていただきました。ほんとうに有難うございました。

[作品抄出]

  うつくしいものがいた

ジョン、タロ、いたずらに
ちがう名を呼ぶと  怪訝そうな顔をして(じっ)と見つめ返してきた
まばたくごとに世界を洗うきみの黒い眸
ぽかんと明るいふたつの虚空から注がれる
底なしの無垢のひろがりに
いまも吸い込まれそうになる

晴れでも雨でも
目覚めるよろこび食べるよろこび走るよろこび
ひとりでも退屈でも
待つよろこび眠るよろこび愛するよろこび
()()はない
ただうれしい
きみは瞬間瞬間喜びいさんでこの世に生まれ出た
ノエル、きみの名はクリスマス
朝から晩まではつらつと祝祭を運ぶ
 
絶対平和主義者だったきみ
吠えられても咬まれても一度もやり返したことがない
きみを見るとなぜか犬も人も(み   ん   な)振り向いて立ち止まる
救い主来たり  何のこと
ミルク色ののんきな美貌で訪れるものすれちがうもの誰彼なくしっぽを振った
つまり番犬には向かなかった
 
ある朝  狙い定めたガードレールが飛び越せなかった
得意のジャンプにしくじって思いきり胸をぶつけた
息が止まりそうになったそのとき
ヒマラヤ杉の向こうの太陽がふっと笑った
大丈夫、だからごきげん
もつれてふらつく後ろ足  やがて階段を転げ落ちる日が来た
でもごきげん
おすわり  待て  覚えた芸もことごとく忘れた、ごきげん
 
小さな尻のまわり
黄金色の糞と撫子の花びらをつけてうずくまる
初夏(はつなつ)の懐はるかに  ねむり躍り  芝生から宙へ  あおい風をまとい
………うれしい
      放たれた赤裸のよろこびのうえ
                   ありんこがわたる
                      なめくじがはう
                         しじみ蝶の羽透く六月の雨あがり
                とおい星の地下水がせせらいで
             きみの姿はみえなくなった
      けれどいなくなったのではなかった
   それどころかきみはここ、あらゆるここにいて
  無の吹きだまりから燦然とほとばしる
光の声をくわえていっしんに走る
走ってくる
 
生れたばかりの兄弟五匹、狭いケージに折り重なって棄てられ一番下でふるえていたきみ。
目が合った時なつかしいひかりにふれたような気がした。あの冬の日から十五年と八か月。
 
うゎんうゎん、わぉん、あぉぉ……、ちがう。
きみが発した声はけっして文字にはならない
どこにも記し落とせないきみの呼びかけに応えるために
命の王位
億劫(おっこう)の火をつなぐ
きみの全霊にまみえるために
わたしは盲いた呪文を踏みしだき四つん這いになって
地から湧き出づる()()を聴く
 
片ときも離れずきみが触れていたもの
きみの眸に泉のようにあふれていたもの
それだけが信じるに足りる
人類の塩からい沈黙を吸い尽くす夕まぐれ
ノエル、きみは光にぬれ
陶然と眼をひらいたまま死んでいった
万物にみひらかれて
ごきげんで

(掲載作選出・野村喜和夫)