八木忠栄『雪、おんおん』(2014年6月/思潮社)

著者 八木忠栄
タイトル 雪、おんおん
出版年月/出版社 2014年6月/思潮社 受賞回[年] 30回[2015年]
分野 分類 作品

[略歴]
  一九四一年新潟生まれ。思潮社で『現代詩手帖』他の詩書出版に従事。スタジオ200、銀座セゾン劇場、セゾン文化財団に勤務。詩集『きんにくの唄』『雲の縁側』など十二冊、句集『身体論』など三冊、エッセイ集『詩人漂流ノート』『落語新時代』他。個人誌『いちばん寒い場所』発行。船橋市在住。

[受賞のことば]
  十年ぶりに束ねた詩集が、北上の地に私を招くことになるとは、予想だにしていませんでした。「おーい!」と励ましの声をかけてくださった選考委員のみなさま、ありがとうございました。半世紀以上詩を書いてきましたけれど、お行儀の悪い詩だとずっと自覚しています。ようやく居場所を与えていただいた思いです。お行儀が悪いなりに、どこか余分な力が入っていましたが、それが少々抜けてきて、いくぶん脇見もできるようになった気がします。お酒も俳句も落語も好きですが、詩は強い酒を携えた本妻だとも言えそうです。

 
[作品抄出]

BAZZを焼く
二〇〇四年三月二九日のメモリー
 
青空へ
けむりはまっすぐのぼってゆく
満開寸前の桜をこえ
けむりになって  おまえは
たかくかけのぼってゆく
ごんごんごんごん
うしろをふりかえることなく
どこまでもまっすぐかけてゆけ
耳をピンと立て
ちぎれるほどに尾をふって

 
いちだんとまぶしい空
呆然とただ見あげているおれたち
川べりも
草むらも
電柱も
地上はどこも涙でいっぱいだ
膝まで涙につかったまま
立っているおれたち
のどがかわく
ひたいがさむい

 
かけのぼりかけおりた階段
うろついた公園
いくつもわたった橋
はしった砂浜
みんな  さようなら
膝までぬらす涙の量や
おれたちの声にかまわず
青空のきざはしをかけのぼれ
風のおとし穴や
空の怪物や
雲の断崖に気をつけて
ごんごんごんごん
のぼってゆけ

 
遠ざかるほどに
おれたちに近づく
遠ざかるほどに
おれたちが近づく
だから  ふりかえるな
まっすぐ  どこまでもかけて
ゆけ!

 

こぼれる、彦六さんよ

バスケットボールの試合を
テレビ観戦していた林家彦六
にがい表情で弟子に言う――
「網籠の底が破れていることに誰も気がつかねえ、
だれか、おせえてやれ!」
たしかにおっしゃる通り
あすこから弾むボールがドスドス
こぼれ落ちているじゃないか
ノッポの選手たちも弾みながら
あれあれ、こぼれる
口からおまんまがこぼれる
朔太郎さんがおまんまをこぼす
いや、おまんまから
朔太郎さんがこぼれる
水からバケツがこぼれる
火酒からモスクワがこぼれる
ゴマからヘソがこぼれる
♪からグランドピアノがこぼれる
たまご焼からフライパンがこぼれる
巨乳からブラジャーがこぼれる
彦六さんよ
ドスドス、こぼれる
涙からどんぐり目が
ちょうちんから鼻ぼこが
入れ歯から爺ちゃん婆ちゃんが
札束からふところが
メイルから携帯電話が
彦六さんよ
まだまだ、こぼれる
ドスドス、こぼれる
木枯から海がこぼれる
ぎんなんからぎんのよるがこぼれる
胸の骨からきりぎりすがこぼれる
昼の蚊から木魚がこぼれる
大根から馬がこぼれる
葱から夢の世がこぼれる
噺から噺家がこぼれる
詩から詩人がこぼれる
彦六さんも朔太郎さんもこぼれる
破れかぶれのニッポン列島から
さて、何がこぼれているか――
だれか、おせえてやれ!

 

母を洗う

生家のうらを流れる川
月の光あふれる川べりで  今夜
母を洗う
――ばかげいい月だねか。
つぶやきながら  母はするすると
白い小舟になって横たわる
ささやくような川の流れを
両掌ですくってていねいに洗う
窓から弟がこわい顔してのぞいている
妹は袂に夜露をいっぱいためている
月の光あふれあふれ
――めったに見らんねえ月らこ
母が背負ってきた物語が
草むす川べりに
こびりついたまま縮んでいる
ぼろぼろの声もこびりついている
ひたすら洗う
石垣にひそむ藻屑蟹も出てきて手伝ってくれ
蚯蚓はいっせいに歌ってくれ
白い小舟を洗うよろこび
ただ  しゃぼしゃぼ、しゃぼしゃぼ
――きれになるねか。
夜空にもいつのまにか
夢のかたちにとがった小舟が浮かぶ
かなたにけだものどもの気配
冷気をふくんだ草にまみれて
いつまでも洗っていたい
――いとしになったねかやあ。
もしかして  おれは今も
母に抱かれたまま
母におぶわれたまま
母を  しゃぼしゃぼ、しゃぼしゃぼ
洗っているのかもしれない
 
    *ばかげた――たいへんに
    *月らこて――月だこと
    *きれげ――きれい
    *いとしげ――かわいらしい
 

赤いランドセル

小さなあしたと大きなあしたが
どのランドセルのなかでも
いつも  ガチャガチャ身を寄せあっていた
ぶつかりあっていた  元気よく
夢のかたちをした赤い海や歌ごえが
いっぱい詰まっていた
 
 (行きと帰りに  きまって
 (わたしを背負ってくれた小さな背中よ
 (あなたは今どこですか?
 
水平線はゆれやまない
けれども  あたらしい波を
つぎつぎに生み出そうとしてうねる
山並はかたむきやまない
けれども  あたらしい風を
つぎつぎに送ろうとして起ちあがる
 
 (わたしは激浪にもまれ
 (泥にまみれたけれど
 (ようやく乾いて色をとりもどした
 (かたむいた玄関先で  わたしは
 (しばらくやすんでから  あの
 (小さな背中をさがしつづけます
 (あの背中でもういちど歌いたい
 (走りまわりたい
 (手の平ほどの海をそっと育てたい
 (でも  わたしは今からっぽです
 
あたらしい波や風は
赤いランドセルに
どんなことばをささやいてくれる?
からっぽを満たす歌ごえは  やがて
かなたからやってくる……
 

(掲載作選出・平田俊子)