有田忠郎『光は灰のように』(2009年9月/書肆山田)

著者 有田忠郎
タイトル 光は灰のように
出版年月/出版社 2009年9月/書肆山田 受賞回[年] 25回[2010年]
分野 分類 作品

[略歴]
  一九二八年佐世保市生まれ。九州大学(仏文)卒。一九八三年、詩集『セヴラックの夏』。以後『髪と舟』『子午線の火』ほかの詩集。エッセイ集『異質のもの』『夢と秘儀』。翻訳ジャン=ピエール・リシャール『詩と深さ』ヴィクトール・セガレン『碑』(日仏翻訳文学賞)サン=ジョン・ペルス『風』『鳥』ほか多数。

[受賞のことば]
  満八十歳になり、来し方を顧みた時、視覚の逆転が起きた。双眼鏡の対物レンズから接眼レンズを覗き込んだように、身近な椅子や机が遥かな夢の部屋となって浮かんでいる。間は淡い光の輪に巻かれた暗い筒。この構図を詩の本にしよう。最初に出口「夢の鏡」を置き、末尾は入口となる「夢の書物」で押さえた。「あとがき」の「詩集より詩書を編みたかった」という言葉の真意がそこにある。十九篇の詩の選択と配置は自分の好みとバランス感覚を優先した。この我儘な本を認めて下さった御三方はじめ多くの皆さまに深く感謝します。

 
[作品抄出]

  夢の鏡

歳月とは
出口から見れば束の間のものだ
ながい夢も一瞬の
記憶が言語によって
分節された結果であるように

 
位置だけあって大きさのない
一刻一刻を通り抜け
ここまで来た
くぐった門の数が無限だったことを
聖なる虚無も迷路の永遠も見たことを
わたしは思い出そうとする

 
だがその時すでに
わたしというものが誰かのなかで
記憶された影の影になっている
それをついに
わたしが見ることはないだろう

 

  そのひとは


風が大きな野原を渡るように
草の背を乗り継い海の方へ
あるいは長い川のある大陸の方へ
淡々と渡っていった
永遠の夏を宙吊りにして

  
砂漠のどこかにパスポートを置き忘れても
帰る国を忘れてしまったから平気  と
旅を続けた

  
死は生と同じく
あなたの限りない旅の途中の
ひとつの入り口  そして出口だった

  
あなたが書いた詩は
位置だけあって大きさのない点の集まりに似て
この世に透明で正確な図形を描いた
読めば  風が茫々と草を靡かせ
海を泡立たせて
あなたが旅立った跡を教えてくれるだろう

  
その跡をたどれば
ぼくらはまた
どこかであなたにめぐり会える

  
あなたはあなたの死を通して
生きることと死ぬことの意味を
ぼくらに教えてくれた

  
(さよならは言いません
  またいつか)


レモンを輪切りにした
碧空に投げると
それは見るみる駆け上がり
灼けつく大気の中で太陽の車となった

  
マグナ・グラエキア
その町や岩山で
今も石を刻む男たち
魚を揚げる女たち
きみらは見たか
さきほど海を渡って
南の方へ
すばやく通過して行った
ひとりの死者を

  
そのひとは
他界のドアをそっと開けると
翼なく  さりげなく
晴朗な微笑をたたえて
とおい彼方へ消えた

  
風のちいさなかたみを残して

*  草の背を乗り継ぐ風の行方かな――多田智満子『風のかたみ』(遺稿句集・高橋睦郎編)から

  

  アリスカ

石の柩
石の柩
石の柩
物語を刻んだたくさんの舟
大河をもうひとつの船で運ばれて
ここに古代の街を造った

  
石の柩
石の柩

  
あまりにも明るい真昼


という主題は摩滅して
もはやない
時間さえ
こまかな砂となり  塵埃となり
石の蓋に積もっている
あるのは今  ただこの時だけ

  
解読不能の文字を読みながら
旅行者が
カメラを手に歩いていく
まだこない死の腕へ
ゆっくりと

  
にわかに風が吹き過ぎる
旅人は瞼を閉じて
ひととき死者のまねごとをする

  
プラタナスのおおきな葉が動く
それもやがて
バサリバサリと落ちるだろう
最後の伝言をこの世に残して

  
夏の日は
いつまでも傾かない
光が灰のように降ってくる

*  アルルにある古代ローマ人の墓地

  

  夢の書物

掌に入るほど、いや、そんなに小さくはないのですが、とにかく小型の本二冊、書店で買ったのです。小さな町の狭い路地。ポツネンと座っていた店主も小柄な人で、黙って代金を受け取り、黙って渡してくれました。
外国の町です。フランス。南の隅。有名になりすぎた観光地。三十年前は、五月も半ばというのに、トゥーリストは一人もいませんでした。いや、ぼくがいたんだ。駅からゆっくり登っていく広い坂道。大通りはそれだけ。途中から路地が何本も分れていたっけ。掌の細かな線が岐れるように。
そこはアルプスの急峻な地層が地中海に雪崩れ込むのを支えている、いわば高地オートプロヴァンスの前衛に当たる街なのです。「地中海はまず山から始まる。」歴史家ブローデルは、たしかそう書いていました。ローヌ河に注ぐ支流が街を貫き、秋には山地から激しい季節風ミストラルが海の方に吹き抜けるはず。
五月。野のコクリコの赤、ミモザの黄。あんな原色の花がこの世に在るのか。不思議なほどの鮮やかさでした。
アルプスの大波を迎え撃つように、その街には不似合いなまでに堅固な砦がいつからか築かれています。ぼくは二冊の本を手に、城壁の上をグルリと歩きました。
何の装飾もない実用一点張りの城です。その厳めしい無骨さが何故か好ましく、ぼくは空から光と一緒に降って来る午前の風を浴びました。光は真っ青に澄んだ湖から溢れてくるようでした。
思い返すと、ぼくは読んだことのない、どころか姿も見えない大きな書物の頁のどこかに、あの二冊の小型本とともに封じ込められてきたのではないか。そんな気がします。小型本は小説で、二十年も前のことなのに、まだぼくは読んでいないのです。一冊の始めの方だけは憶えていますが。「私は戸口の外の無花果の木の下で生まれた。父がすぐ近くの谷川で産湯を使わせ、体が冷え切らないようにありあわせのボロ布でくるんで、自分の懐で温めてくれた。」
あの赤ん坊そのままに、ぼくはいまも夢の頁に畳み込まれているように思うのです。物語はまもなく終わろうとしているのに。大きな書物の中の小さな書物は、暗い鏡の中で赤ん坊のぼくを繭のように包みながら、いつか誰かに読まれるのを待ち続けるのでしょうか。

(掲載作選出・高橋睦郎)