財部鳥子『モノクロ・クロノス』(2002年10月/思潮社)

著者 財部鳥子
タイトル モノクロ・クロノス
出版年月/出版社 2002年10月/思潮社 受賞回[年] 18回[2003年]
分野 分類 作品

[略歴]
  一九三三年十一月十一日新潟生まれ。中国ヂヤムス市で育つ。四六年帰国。六五年、第一詩集『わたしが子供だったころ』を出版。ほかに『西游記』地球賞、『中庭幻灯片』現代詩花椿賞、『鳥有の人』萩原朔太郎賞などがある。中国現代詩の共訳『チャイナミスト』、散文集『無垢の光』。

[受賞のことば]
  一月、キューバの図書協会から招聘されてハバナ市へ行き、異国の詩人たちと連詩をやりました。踊ったり歌ったり、陽気で楽しい会でしたが、十日もの間、どこのホテルでも部屋の当たりが私だけ悪くて情けなく、「きっとこれからいいことがあるのよ」と自分を慰めておりました。
 すばらしい賞を戴いてうれしく光栄です。いつも土壇場のような気分で詩を書いていますが、もう少し楽になれそうです。
 選考委員の皆さまに感謝いたします。またお世話になった方々と家族にも。

  
[作品抄出]

  水音の変奏

輝くひかがみを持つ男があなたの骨の下にもぐり込み
  きみの体には大きな瀧があるねといいざま
  そこからあなたの水杉の樹にのぼっていく気配
  くすぐったくて身をよじる

かれは樹の上から瀧に飛び込むのだという
  その躍動は闇のなか
  ただ水音が米嚙みに痛いほどひびいてくる

男は瀧壺のなかを抜き手をきって泳ぎまわる
  浮かんでは沈む
  宇宙を背にのせた亀を追っている
  しばらくして  どの一滴の水が
  最初の一滴だったろうかと聞いた

輝くひかがみを持つ男の馬の匂いがしきりにしている
  水に近づく馬  舌ですくう水  水草のしたの渦巻き
  あなたの脇のしたに亀の這う気配がしている
  肋骨がきしむ

チベットでは水音は岩山の遠いむこうにしか聞こえない
  だから岩山に耳をつけて水に会うのだ
  つめたい耳朶が腹に押しつけられている
  男はかつて聞いたこともない音に出会うだろう

かれはあなたの水の岸で刀を研ぎだしている
  遠い内陸でも川が生まれようとしているらしく
  さわさわと大地をつたわってくる音がある

かれは震源地はほかの土地かとあなたに聞いた
  あなたは答えられない  世界中が震源だ

輝くひかがみを持つ男が濡れそぼって
  あなたの井戸から上がってくる
  高い声で大鷲の歌をうたいながら

きみの体の中でとても気持ちのいいのは渓流の下
  鮭が産卵しているきゃしゃな骨だね  という
  そこには北から南から引き寄せられて
  泳いでいるものがいる

あなたは薄暗い部屋で
  そんなことはどうでもいいと思いながら
  井戸の滑車がピアノの鍵盤の上をころがる音をきいている

男は永遠の亀に追いつけないだろうかとあなたに聞いた
  あなたはもう眠ってしまった
  簡単にはめざめない
                            *ザンディの詩の行が入っている

  

  落  魄

  3  秋の水位

朝  起きぬけに
ラクハクという声を聞いた
落魄?  おお  落魄か

死者たちはみな若く  まだ若く
――若くなければ死者ではないよと思う
秋がそこまで  ほら

窓べの大きな桜の一葉が紅くなりかかる
暗い?  葉がくれの暗い夏がおわる
書斎の窓の暗さという意味での

暗がりで
あなたはどこかに
慰めがあると思い続けてきたらしいが

桜の葉が落ちてしまえば明るい
というくらいの
しっぽのような悲しみだろう

汗疹あせものようないら立ちだろう
秋が来れば化粧のノリもよくなる
というくらいの按摩だろう

落魄?  をかんじるときには
まだ若い死者たちを揺り起こし
むりやり揺り起こし

彼らの口惜しさを口に含み  くいしばり
水位が高まってこぼれるまで
ベッドで目を見はっていたりする

あなたのその卑しい癖は死ぬまでなおらない
死者の心臓を取り戻そうとするのは恥ずべきことだ
ああ  死ぬ者をして死なしめよ

一葉落ちて天下の秋を知る
のではなく
まだまだ晩夏の繁りの暗がりで

しかし落魄をゆめみて
落ち行く先もない落武者の光を
秋がそこまで  ほら  といってみるのだ

  

  古  巣

新しい市道ができると
野のすみにひっそりと祭られていた神があらわになる
なにを守っていたのか
小さな赤い鳥居と灰色のセメントの狐

私たち家族は車を止めて
焼却炉の煙にコンコン咳き込みながら
古巣をながめている
正一位八幡稲荷  あれが我らの身分だった

周囲には里芋の巨大な葉が揺れているから
あの社は小高いところにあるのだろう
葉の群れに車体をこするようにして通過した
あそこへは  もう二度と帰れない

  

  長  夜

レモン色の携帯電話が
夜じゅうレモン色の沈黙をしているとき
一篇の詩が藻屑を引きずって
はるかBCの彼方から流れついた

生年不満百  わずか百年に満たない命だ
常懐千歳憂  千年の憂いは抱くまい
昼短苦夜長  昼は短く  夜は長い
何不秉燭遊  さぁ灯を掲げて遊ぼうじゃないか

漢の無名氏は吟じて
陽気に銀の燭台を持ちあげる

ああ  わたしたちもそうしている

月の出の港から血の予感を誇って
航空母艦が出て行く夜だ

  

  仙  境

ばいふる
霾ふる
腐った水のよどむ川をわたって
白いススキをかきわけ
抜き足を横たえると
(いくつの夏を
蓮の花は音たてて開く
きみはいくつの花を聞きとめた?)

泡立つあの沼で
空き缶をいくつか沈めて  臭う水に
水吹く詞を浮かべるしかない  いまは
(水杉の涼しいあそこで
遠い祖母たちか崩れそうな立て膝で
終局のない碁を打っている)

埋めて霾ふる
霾ふる
黄の水干に逢う手立ても散じて
灰と化した経典のなかを
あやめも見えず行けば
すたれた言葉のなかでこそ  なかでこそ
(この草原で
あなたに会ったことがあります
まだ幼い女の子で
手に花を持っておりました
千年も前のことになります)

あれはたしかに
あれはわたしの花

(掲載作選出・安藤元雄)